2019年3月アーカイブ
都市の中を流れる 「川」 の再生を目指した調査も研究を手がけて三十数年になるが、その間、脳裏から離れなかったのは、東京都心を流れている「日本橋川の未来像」 のことであった。
日本橋川は、今では、神田川と分派しているが、江戸の城下町形成期から舟運機能をはたすとともに町民の生活用、防火用、親水用など多面的に利用され、江戸のまち特有の水にまつわる文化を育んできた。いわば江戸・東京の発展を物語る象徴的水辺空間を都市部に刻印しているのである。
江戸、そして東京の発展を支えた歴史的遺構を点在させている日本橋川の中に高速道路を通すためコンクリートの大きな列柱群を打ちこんだのは今から四十数年前のことである。
この情景を日本橋の上で眼前にした時は、自分の体に釘を打ちこまれたような衝撃を受けた。
それ以来、都市空間と 「川」が共存し、川から恵みを受ける都市デザインを研究し、舟運で繁栄した時代の日本橋川の復活に貢献する研究・計両を捉果しようと決意した.十数年前のことだが、研究室に積まれた「広重」「北斎」などが.描いた浮世絵図集をひらいているうち日本橋川、隅田川、神田川 (三川と呼ぶ) の水辺を美しく措いた絵図が集中して多いことがわかった。絵図の中には、水辺でゆかたを着流して散歩する乙女たち、水辺をゆきかう舟上で夕涼みを楽しむ町民、水辺の桜の下で宴会して踊る人々の活き活きとした姿や、水辺風景が丹念に表現されていた。
江戸・東京の川を蘇らせるにはこれらの絵図に表現された水辺活用の知恵を伝承した水辺空間の創出をテーマにしようと考えた。絵図を描いた場所をつきとめ、周辺の環境調査をしたところ、日本橋川沿いには、堀割の跡、舟着場の石積護岸、珍しい橋群、風景の残像など江戸、明治、大正期の面影を残す造形や風景が存在していることがわかった。
これら数百年前の歴史的遺構は博物空間となる、環境を整えれば、展示空間(サテライト) になると、その場所に立つと絵図で描かれた空間や風物詩を追体験もできる。また江戸のまちの学習や研究材料の現場となり、野外体験型博物館になると考えた。 4年前 (平成14年) になるが、この着想を基本にして 『江戸・東京の川一体感型博物館構想』と題した研究成果を専門誌に発表した。
この構想立案の前提としたのは、近い将来 日本橋川上部の高速道路は、代替案が出され解体される時代が来るものと考えた。構想の要点は川辺沿いの散歩路と小広場 (舟着場と一体化) の復活を図り、花見、夕
涼み、屋台店など江戸の風物詩を体感できる水辺空間を復活する。また当時活躍した小型舟を登場させ水運路を整え、舟上で絵図に描かれた楽しい行為が体感できるというものである。
都心のヒートアイランド現象や砂漠化が進む時代にあって、日本橋川などの都市の川は、かけがえのないオアシス空間である。江戸の人々が楽しんだ水辺空間こそ、東京の人々の、復活実現可能な 『夢』 である。
絵図に表現された水辺空間を復活させようと知恵を結集し動き始めるとこの 『夢』 はエネルギーを発揮し、都市砂漠化が進む東京の大地を潤す川となって蘇るものと期待している。

両国納涼花火ノ図- 国立国会図書館蔵
東京都心部は、江戸時代から日本各地で産出した物産品や人が集散し栄えたが、これを可能にしたのが水運を支えた水路網であった。
この水路空間の様子は、江戸の絵師・広重、北斎、雪且などが描いた浮絵や古地図をみれば明らかであろう。
江戸の繁栄を水運で支えたものは、地形の特性を読み解き、開削した網目状の水路空間の形成がクローズアップされてくる。
この水運を基軸にして栄えた江戸の町であったが、時が進み、大正・昭和の時代になる鉄道や自動車による輸送が発達してきたり、戦後の急激な都市化の波をうけると、水路網の多くは埋められ、車道など都市施設に変わった。浮世絵に描かれた舟運の運の活気に満 ち た光景が「夢」だっかと、と思えるほど、水都-江戸の風景は消えたと思われてきた。
私は勤めていた大学で都市の川を再生するための調査・研究を永年にわたり取組んできたが、気がかりであったのは、江戸・東京の水路再生の可能性を見つけだすことであった。このテーマを探るための学生と共に、古地図、浮世絵、治水史などの資料を手当たりしだい集めた。数人の学生は、浮世絵集を数十冊集め、 研究室に持ち込み、解読をおこなった。これらの絵の多くは水辺風景や、水辺と人の交わりを美的に描いたものが目立って多くあった。江戸の町が水路空間によって、栄えたことが明らかとなり、これらの仕組みは、現代においても学ぶべきものがあると思った。
浮世絵の多くは、水辺でゆかたを着流して散歩する乙女たち、水路を行き交う舟上で夕涼みを楽しむ町民、水辺の桜や柳の下で宴会を開き、にこやかに踊る男女の粋な姿など、丹念に、しかも活き活きと描かれている。思わず絵のなかに取り込まれるような気さえした。
「よくもここまで水辺空間を私達に伝えていただいた」と感謝の念が湧いたのである。

この浮世絵の世界を復活できないものか。これが実現すれば多くの市民から喜んでもらえるだろう、と考えた。
この着想を実現化する方法として、筆者の専門であるランドスケープデザインという手法をよりどころにして、まず現存する江戸の水路(日本橋川、神田川、隅田川)を取り上げ、浮世絵で描いた地点を抽出し、学生動員してワークショップを毎年実を施した。注目すべき成果は、浮世絵で表現された造形や空間、風物詩的要素が断片的ではあるが「残存」していることがわかったのである。
浮世絵の表現要素が現存する水路空間に見隠れしている情景を、私は江戸の「面影」、 「残像」、「イメージ のオーバーラップ」と呼んで、抽出 する作業をおこなってきた。浮世絵を手がかりとして、当時の水辺にまつわる面影さがしを市民に拡げるため大学で開講している市民講座で実施したところ好評を得てきた。今も続いている。江戸の水辺空間を蘇らせるには、絵図に表現された水辺活用の知恵や文化を伝承する環境を整えることがテーマになると考えた。
日本橋川沿いには掘割の残像、舟着場の右横護岸、名橋の数々、水辺風景のなごり、水辺の植物、動物(魚・ 鳥)が町民と交流する風物詩などが江戸時代に発生し、明治、大正、昭和の歴史的遺構が混ざり合いながら残っているとろもある。水面上部には高架道路があっても江戸の面影の断片を見いだすことが可能である。これら にランドスケープデザインの加工をすれば「面影」の再生・拡大となり、そこで浮世絵の空間体験することが可能である。
ここで着想しているところの面影体験空間は、「博物空間」となり、展示空間(サテライト) としてネットワーク化される。この場所に立つと浮世絵の面影を誰もが体験できるのである。これが江戸の川・復活の始動となろう。
六年前(平成十五年) になるが、この着想を骨子として「江戸の川・ 復活」-――絵図から学ぶ『体感型野外博物館構想』と題した著書(東海大学出版会)を上梓することができた。この構想立案で想定したのは、近い将来、日本橋川上部にある高架道路は耐用年限をむかえ、その代替案が必要とされる時期がくるものとして考えた。
本書の構想の要点は、実現までに時間が経過しても、「川沿いの散歩道(リバーウオーク)と、橋詰と一体化した小広場」を創設し、そこには船着場が設けられ、「河岸」のたもとで花見、夕涼み、屋台店のショッピングなど、江戸の風物詩を復活するというものである。また、当時、活躍した和船(屋方付、高瀬舟、猪牙舟など)を登場させ、舟上では絵図に描かれた着物をまとい、飲食や遊びを楽しみながら「面影」を体感できる計画もある。
私は、この「構想」が実現にむけて世論が動き出しやすくするため、市民活動の学習会や、大学が主催する公開講座に出たり、フィールドワークの案内役になったりして、江戸の川、復活の魅力を力説して歩きながら浮世絵師と語り、「面影」との出会いを楽しんでいる。
(日本橋11月号掲載 平成22年11月1日発行)
