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【江戸の物売り】夏商いの各種売り声で(金魚売り、ところてん売り、茄子売り、水売り、植木売等々)で町は賑やか。
【江戸の物売り】夏商いの各種売り声で(金魚売り、ところてん売り、茄子売り、水売り、植木売等々)で町は賑やか。高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2024-7-4 8:53    
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朝早くに来る、売り声が「アッサリ、死んじめえ」と聞こえるという「アッサリ、シジミ」という掛け声の浅蜊(あさり)・蜆(しじみ)売りは子どものアルバイトであった。納豆売りや豆腐売りも朝早くやってきた。
 今は、こういった街中を売り歩く物売りそのものがいなくなってすっかり久しい・・・

関連コラムはこちら>
>江戸言葉 月ごよみ『江戸の売り声』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8

画像> 『今様職人尽歌合』* 金魚売より

*「今様職人尽歌合」(イマヨウショクニンズクシウタアワセ)は、江戸時代中期に成立した狂歌集。銕廼屋大門と五柳園一人が編纂、紹真が筆写して、文政八年(1825年)に刊行。
狂歌は、俳句の一種で、風俗や職業についての歌を詠んでいる。

■金魚
金魚(錦魚)は元和年中に南支那あたりから輸入された事は「和事始」や「大和本草」等にあり、 賞玩用としての流行は元禄以前からで、品評会風のものを、金魚の狂言と云った。

>金魚屋・金魚うり
金魚屋は「江戸鹿子」や「西鶴置土産」に、下谷池之端しんちうや市(郎)右衛門の名がある。幕末には本所割下水、谷中、根津、白金あたりに多くあった。金魚うり(物売り)の者はこれらの店から金魚を受けて、売り声も「目高かアー、金魚ウー」とよんで売りあるいた。

>金魚の種類・価格
守貞漫稿」*に「形小、尾大にし大腹のものあり、常に尾を上に首に下に遊ぐ、京坂これを蘭虫(らんちゅう)と云う、まるっ子と云うは江人の訛りなり。 大腹に非ずして尾大の者を三都とも朝鮮と云う。各必ず尾は三尖なり。貴価の者は三五両に至る」とある。

>人々の寸評・見立

○『硝子(びいどろ)の金魚の命すき通り』 武玉川*

○『およし遊ばせ死ますと金魚売り』    柳樽*


*「守貞漫稿」(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)
「江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗や事物を説明した一種の類書(百科事典)。著者は喜田川守貞(本名:北川庄兵衛)で、1837年(天保8年)から約30年間にわたり執筆され、全35巻(「前集」30巻と「後集」5巻)にまとめた。この書籍は約1600点の図版と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とされている。

*「武玉川」(むたまがわ)
江戸時代の俳諧の高点付句集『誹諧武玉川』。江戸座俳諧の宗匠、慶紀逸撰。1750年(寛延3)から56年までに10編,以後《燕都枝折(えどしおり)》と改題して5編,紀逸撰。1771年から76年まで2世紀逸撰で3編,計18編。

*柳樽(やなぎだる)
単に「柳多留」とも「柳樽」とも呼ばれる誹風柳多留(はいふうやなぎだる)とは、江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行された川柳の句集。呉陵軒可有編、花屋久次郎版。明和2年から天保11年(1765–1840)にかけて167編が刊行された。






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