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【新着コラム】江戸の昔、馬はとくに東日本の農家で農耕馬として飼われ、西日本の農家は牛を飼って農耕に使ったようであるが・・・
【新着コラム】江戸の昔、馬はとくに東日本の農家で農耕馬として飼われ、西日本の農家は牛を飼って農耕に使ったようであるが・・・高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2024-8-3 15:34    
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どうして日本の東西で農耕馬と農耕牛と、飼う動物が異なっていたかというと、農地と気候の問題があったからである。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。

画像は>
馬並の客に驚き、床から逃げて泣き出す振袖新造。
山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)
『九界十年色地獄(くがいじゅうねんいろじごく)』(寛政3年〈1791〉刊)より。


コラム詳細はこちら>  
・江戸ことば 月ごよみ 『江戸の馬いろいろ』

 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=9

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