アルバムトップ : 新着PHOTO :  【永代橋崩落】8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、1730余人が死亡・・・・・

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【永代橋崩落】8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、1730余人が死亡・・・・・
【永代橋崩落】8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、1730余人が死亡・・・・・
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2024-8-3 15:38    
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江戸時代の橋梁は、 木製で老朽化が激しく (耐用年数、 約20年)、 さらに水害による流失があって、維持管理するのが大変でした。
"両国橋は、架け替えの度に道幅を狭くしてコスト縮減され、また幕府が維持管理しない橋梁は、地元 (町方)に委譲されていきました。

画像は>
「文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図」歌川豊国(3代目)画  江戸東京博物館蔵

「永代橋崩落の図」に描かれている人々の服装や表情は、当時の江戸の風俗をよく反映している。(法量/27.5cm x 76.5cm)


関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 『永代橋にみる民間活力導入の惨劇』

 http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo46.pdf







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