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【玉川上水】2月11日承応2年(1653)幕府代官伊奈忠治が玉川上水開削の奉行を命じられる。
【玉川上水】2月11日承応2年(1653)幕府代官伊奈忠治が玉川上水開削の奉行を命じられる。高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2024-2-10 2:01    
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>玉川上水開削工事の画像
線香・提灯の灯りを使って夜間に測量をした想像図
(羽村市郷土博物館蔵)

玉川上水は、承応2年(1653)に多摩川の羽村堰~四谷大木戸まで約43㎞を開削し、江戸市中に配水した水道の大動脈である。その配水エリアは隅田川沿岸に達していた。また、開削から161年後の寛政3年(1791)には武蔵野台には33の分水が穿たれ、集落と新田開発に大きく寄与した。分水は、南の多摩川の崖線と北の新河岸川・荒川まで達していた。またその落水は、武蔵野台地を開析する中小の河川の流頭へ流れ込み、沿岸の田畑を潤した。さらに、その浸透水は崖線の湧水を涵養した。この意味で玉川上水と分水網は、まさに江戸・東京の水循環の基軸でもあった。

関連資料はこちら>
玉川上水物語り「水と緑の回廊・玉川上水と分水網」
https://drive.google.com/file/d/1QMUuq73BYg6gb9NQEMySPxe2B-7kYmW-/view?pli=1

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