2018年5月15日 産経新聞掲載
品川用水を調査 失われた水路の「面影」をたどる。
水路のある生活環境は貴重な宝。私たちの住む東京でも、分水路を再生し、水とともに発展した江戸の生活や文化、情緒を体感できる場所にできたら素晴らしい。そのための一歩として、分水路網の面影を掘り起こし、記録して残そうと考えている。
*品川用水
品川にあった細川家下屋敷の庭の池のため掘られた水路を1669年、潅漑(かんがい)用水として拡幅し、整備されたと伝えられている。
武蔵野市で玉川上水から取水され、三鷹市、世田谷区、目黒区を経て、品川区で目黒川に注いでいた。
全長については27キロ、29キロの2説あるが、33あった玉川上水の分水路の中でも最長級の長さだったという。
全長については27キロ、29キロの2説あるが、33あった玉川上水の分水路の中でも最長級の長さだったという。
昭和初期まで水田などを手間わせたが、市街地拡大とともに暗渠(あんきょ)化が進み、昭和27年までにほとんどが埋められ、今は道路や下水道になっている。