第二十三回「日本人の近代化せられない側面に「人」の保持せられているところがある」
書名 津田左右吉歴史論集(2006年 岩波文庫)
著者 津田左右吉*1
*「 」太字部分 本文より引用
江戸時代の後期にあたる18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは産業革命*2が起きていた。産業革命では、綿織物や製鉄業の生産過程で技術革新が進み、蒸気機関の発明・開発は、石炭利用によるエネルギー革命をもたらした。蒸気船や鉄道が発明され、交通革命も起きた。産業革命は社会構造全体に変革をもたらしていた。それは機械文明*3の幕開きだった。
機械文明の影響が本格的に日本に及び始めるのは、明治維新以降である。最新の生産機械は大量生産を可能にし、日本は急速に工業化していった。機械文明は人々の生活や考え方を変え、影響は日本の社会構造全体に及んだ。
しかしその一方で、機械文明によって、人々は生活の自由を失い、機械の動きに適応させるために、生活そのものが機械化させられるようになったと津田はいう。一面の事実として言えることは、都会人や、生活の多くを機械力に依存している人々の心理は、自然さや人間らしさを失って、一種異様なはたらきをするようになってしまうということだ。機械の発達は生活に多くの便宜を与え、人々に幸福をもたらしたが、その力の大きさに、人々は圧倒されたのだ。
「機械文明は、極言すると、人のために機械がはたらくのではなくして、人が機械によって動かされ、人が機械を使うのではなくして機械が人を使う、といってもよいような状態を作り出した。それほどでなくとも、人の生活が機械に制約せられて自由を失い、また生活を機械の動きに適応させようとして生活そのものが機械化せられる傾向を生じた。そうしてそのために近代人、特に都会人や機械力に依存することの多いものの心理が、自然さを失い「人」らしさを失って、一種異様のはたらきをすることになる。勿論これは一面の事実であって、機械の発達が人の生活に多くの便宜を与え人の幸福を増進した他の一面の事実のあることは、明らかであるが、機械の力のあまりにも強くあまりにも大きいがために、人はともすればそれに圧倒せられるのである。」 *「 」は本文からの引用
機械文明がもたらす負の側面を補正するために私たちには何ができるだろうか。
私たちは、失われつつある「人」を回復し、「人」の権威に立って、「人」の責務を明らかにし、「人」としてのすべての働きを盛んにするべきだと津田はいう。それは、「人」が機械の主人となり、集団を働かせ、群衆の流れに押し流されない自己を保ち続けることだ。
「然らば近代文明の欠陥をどう補正してゆくべきであるか。それは失われんとする「人」を回復し、「人」の権威を立て、「人」の責務を明かにし、「人」のはたらきを全面的に旺盛にすることである。「人」が機械の主人となり「人」が集団をはたらかせ、群集の流れにおし流されずして自己を堅持するようにすることである。」
一足早く近代化に向かった米国には「伝統的な自由主義的個人主義思想」と「伝統的なキリスト教」とがあり、機械文明の欠陥をある程度補正していた。しかし、日本には「伝統的な自由主義思想」も「伝統的なキリスト教」もなかった。日本は別の方法を探さなければならなかった。方法はふたつあると津田はいう。「日常生活そのもの」と「(日本の)思想の力」だ。
「アメリカは機械文明が最も発達していると共に、アメリカ一流の集団的行動の盛んに行われているところであるが、そこには、伝統的な自由主義的個人主義思想と、本質的にはそれと必しも一致しないところがあるけれどもやはり伝統的なキリスト教とがあって、その欠陥をある程度に補正しているらしい。しかし近代文明の世界に入りこんで来てそれから利益をうけると共に、その欠陥をうけつぐようになった我が国には、そういう伝統が二つともない。そこで日本人はその欠陥を補正するために別の方法を要する。それは一つは日常生活そのものにおいてであり、一つは思想の力によってである。」
「日常生活そのもの」とはいったい何を意味しているのだろうか。
近代文明によって日本人の生活のすべてが変わったわけではない。そしてこの日本人の生活の変わらなかった側面、すなわち変わらなかった「日常生活のそのもの」に、近代文明によって失われようといている「人」が保持されていると津田はいう。この破壊されようとしている「日常生活そのもの」を建て直すことによって、近代文明の欠陥を補正することができるというのだ。
「前の方についていうと、日本は近代文明の世界に入りこんで来たけれども、日本人の生活のすべてが近代化したのではないことが考えられねばならぬ。この近代化せられない側面に、素朴ではあるが、またそれみずからにいろいろの欠陥を伴ってはいるが、近代文明によってまさに失われんとする「人」の保持せられているところがある。~中略~そこでその傷を癒し破壊せられんしたものを建てなおすことにおいて、近代文明の欠陥を補正する一つの道が開かれるであろう。」
もうひとつの方法である「思想の力」とは何か。
すべての学問、特に人と社会に関する学問は、「人」の自覚から出発しなければならないと津田はいう。歴史学は現実の生活の中から「人」としての自覚を呼び覚ますところに出発点がある。歴史を作るのは人だ。そして歴史を作るということは、人が、現実の生活を変え、未来に向けて新しい生活を切り開いていく意義を明かにすることだ。歴史学は、こうして失われつつある「人」を回復し、近代文明の欠陥を補正してゆく思想的根拠を与えてくれるのだ。
「次には近代文明の欠陥を補正すべき思想上のしごと、特に学問のしごとが考えられる。それはすべての学問、特に人に関し社会に関する学問は、「人」の自覚から出発せねばならぬ、ということである。歴史の学においては、現実の自己の生活によって、またそのうちから、「人」としての自覚を喚びさますところにこの学の出発点があるので、人が歴史を作ってゆくものであることを、歴史を作ってゆくというのは、現在の生活に変化を与えて未来に新しい生活を展開させてゆく意義であることが、それによって明かにせられよう。そうしてそれがおのずから機械文明と集合体としての生活とによってまさに失われんとする「人」を回復し、それによって近代文明の欠陥を補正してゆく思想的根拠が得られるであろう。」
逆に、歴史を知ることで、「人」を知ることもまた始まると津田はいう。なぜなら、歴史学は、人がいかにして(その時点での)未来を作ってきたかを知ることを通して、「人」を知る学問だからだ。太古の昔から、人の行動が記録されてきた理由もここにある。人は行動し、その行動が自己を作り社会をつくることが知られていたからこそ、人々は行動を書き記してきたのだ。
「そうしてそれはまた、逆に、「人」を知ることは歴史をしることによって始めてなされる、ということにもなる。歴史の学は、未来に向って人が如何に歴史を作って来たかを知ることによって「人」を知らしめるものであるからである。遠い昔から人の行動を記した歴史の作られて来たのも、ここに深い根底がある。人は行動するものであり、行動することは自己を作り社会を作ってゆくことであることが、素朴な考えかたながら知られていたからこそ、こういうものが書かれて来たのである。」
機械文明のもたらす欠陥の補正という任務を果たすために、歴史家は自ら「人」でなくてはならないと津田はいう。機会文明に圧倒され、生活を機械観的に取り扱い、群衆の力や世間の風潮に押し流されて、自己を失い「人」を失ったのでは、歴史を理解し叙述することはできない。歴史学において、「人」を回復するためには、歴史家みずからがまず「人」を回復しなければならない。
「しかし歴史家がかかる任務を遂げるには、歴史家みずからが「人」でなくてはならぬ。機械文明に圧倒せられ、従って人の生活を機械観的に取扱ったり、群集の力にひきまわされ、世間の風潮におし流されたりして、自己を失い「人」を失ったのでは、歴史は解せられず歴史を叙述することはできぬ。歴史の学において「人」を回復せんとするには、歴史家みずからが先ず自己自身において「人」を回復しなければならぬ。」
IT産業が拡大し、第四次産業革命(インダストリー4.0)*4の時代に入ったと言われて久しい。ここ数年のAI(人工知能)の急速な進歩は、人と機械に協調の余地を残していた第四次産業革命を超え、今や第五次産業革命に突入しつつあると言っても過言ではないだろう。それが、過去のどの産業革命よりも私たちの生活を変えてしまうであろうことは、今やほぼ確実だ。ITの進歩によって私たちの生活の利便性は増し、スマートフォン(以下スマホ)さえあれば、いながらにして日常生活を不便なくすごせるところまできた。
その一方で、今から半世紀以上前、津田によって指摘された、機械文明のもたらす欠陥、すなわち「人」の喪失という問題はどうだろう。スマホによって、他人を介さないで直接問題や課題の解決が可能になり、生活の利便性は確実に増した。AIはそれをさらに推し進めるだろう。その一方で、スマホは個人と個人との関係、個人と社会との関係を大きく変えた。この先、個人は、社会は、どこに向かっていくのだろうか。私たちの生活はどうなっていくのか。そこに私たちは幸福を見出すことができるのだろうか。未来に対する見えない不安が今、私たちの心をひそかにおおいつつあるように見える。
進化した機械文明によって、私たちが再び「人」の喪失に向かっているのだとしたら、私たちは津田に倣って、どんなに文明が進化しようとも、けっして失わせてはならない、私たち日本人の「日常生活そのもの」について、もう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。
同様に私たちは、人がいかにして未来を作ってきたかを、歴史から学びなおさなければならないだろう。その際に留意しておかなければならないことは、「人の生活を機械観的に取扱ったり、群集の力にひきまわされ、世間の風潮におし流されたりして、自己を失い「人」を失って」いる歴史家の叙述からは、多くを学ぶことはできないということだ。自身が「人」である歴史家の叙述を通してのみ、私たちは「人」を知り、未来の作り方を学ぶことができるのだ(とりわけその失敗についての叙述から)。
「人」を知り、「人」を回復するために、そしてよりよき未来を築き、同じ失敗を繰り返さないために、私たちは歴史から学び続けなければならない。
了
脚注)
*1 津田左右吉(つだそうきち)1873?1961大正・昭和期の歴史学者。岐阜県の生まれ。東京専門学校(現早稲田大学)卒。1920年早大教授となる。日本神話に初めて科学的検討を加え,'24年以後『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』などを発表。'39年に至り蓑田胸喜 (みのだきようき) ら右翼から不敬思想として攻撃され,翌年4著書が発禁,'42年に出版法違反で有罪となった。中国思想の研究にも大きな功績がある。'49年文化勲章受章。出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版
*2 産業革命 市場の拡大による工場制手工業から機械制大工業への変革。1760?70年代にイギリスに始まり,19世紀を通じて欧米の主要な資本主義諸国や日本で行われた。日本の産業革命は欧米より遅れて日清戦争(1894?95)のころ,紡績・製糸・綿織物を中心とする軽工業部門に第1次産業革命が,続いて日露戦争(1904?05)前後に重工業部門の第2次産業革命が進行した。この時期を通じて日本の資本主義が急速な発展をみせたのは,安くて豊富な労働力による。この安い労働力は,一方で国内市場を狭くするので,資本は海外市場を求め,軍事的・侵略主義的な性格をもった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版
*3 機械文明 道具が機械に置き換えられることにより,人間社会の生産力は増大したが,反面,機械をつくりだした人間が逆に機械に使われる事態となったばかりでなく,人間社会そのものが機械化され,複雑な社会機構を生んだ。この文明形態(→文明)を機械文明という。この社会においては,機械を媒介とする人間の意思疎通,すなわちマス・コミュニケーションの発達がもたらされ,不特定多数の大衆社会における文化の画一化や個人の部分品化が促された。大衆社会の成立は,機械文明の所産であるといえる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典
*4 第四次産業革命(インダストリー4.0)蒸気機関を第一次、電気機関を第二次、製造業の自動化を第三次の産業革命とみなし、インターネットを通じてあらゆる機器が結びつく段階を第四次の産業革命と位置づけたもの。主に製造業を中心に、IoTや人工知能を導入し、自律的・自動的・効率的に製造工程や品質の管理を進め、省エネルギー化などを行い、新たに産業の高度化を目指すというもの。もとは2011年にドイツの産官共同プロジェクトが提唱した産業高度化の概念、インダストリー4.0を指した語。
出典 小学館デジタル大辞泉