■ 文化2年(1805年)頃、江戸最大の繁華街-日本橋通を今川橋から日本橋を描いた「熈代勝覧」絵巻 。
(縦43.7cm、横1232.2cm/人物:1671名/犬:20匹/馬:13頭/牛:4頭/猿:1匹/鷹:2羽/店舗:89店描画 / べルリン東洋美術館蔵
その壱 神田今川橋北橋詰から本白銀町通り
物売りの掛け声や口上、人びとの話し声、車のきしむ音、
旨そうな屋台のお茶屋さんの香り、
塵が少ない清潔な江戸の街路!
~街のざわつき、匂いまで漂ってきます。
さらに絵巻の背景まで簡単に紹介して、
よりズームを当てリアルにせまります。
*「熈代勝覧」絵巻部分)の現代図(左)、江戸末期図(右)
「大江戸今昔めぐり」より
瀬戸物屋さんと番所
茶屋の上は瀬戸物屋「かめや」さん。
江戸時代には、日本橋が瀬戸物屋さんの中心地。
日本橋は物流の拠点で、商人たちが商品を扱うために最適な場所でした。
多くの大店や瀬戸物屋が日本橋の表通りに軒を連ねていました。
神田今川橋北橋詰番所に付設された茶屋
板葺き屋根の建物は橋番屋。こうした番屋には、
警備業務などの負担に対する助成として、
茶屋その他の店舗施設を付設し営業収益を得ることが許可される場合もある。
馬子
右端の馬を引く男
馬を使って人や荷物を運ぶことを職業とした人を馬子(まご)といった。
馬子にも衣装という諺(ことわざ)は、つまらない人でも、
衣装を整えれば立派に見えるということ。 それほど馬鹿にされたのかな?
巡礼
橋を渡り右へ向う二人連れ。
聖地を巡る宗教行為一般のことだが、日本の場合、西国三十三観音霊場を巡る場合に使われることが多い。
町駕籠
橋の上 左寄り町人用の籠。四本の竹の柱で支えただけの簡易駕籠。四つ手駕籠(よつでかご)とも呼ぶ。町駕籠は駕籠屋に雇われた駕籠かきがかついだ。町駕籠>宿駕籠と辻駕籠とがあり、いづれも四つ手駕籠を使用。定数、構造、利用者の身分、通行地域等に種々禁令がでている。
駕籠代.>
・市ヶ谷御門外より京橋中橋槇町まで夜駕籠300文、酒手36文
(文政6年(1823)3月「江戸案内」)
・日本橋から吉原大門まで金2朱(=銭約800文)天保13年(1843)
六十六部
橋の左側を笈(おいずる)を背負う男。日本全国六十六ヶ所の場を巡り法華経を一巻ずつ納めた。
巡礼もそうだが、実際には江戸住まいの偽者が多かった。
大八車
馬車で荷物を運ぶことを禁じられていた江戸市中において、大八車は、
最有力な 輸送手段であった。 一人引き (五十貫= 約一八七 ・五) から四人引き(二百貫)まであった。
琵琶法師
左側手前
琵琶の伴奏で平家物語(平曲)を語る盲目の法師。
江戸住まいの法師は僧侶ではなく、当道座(男性盲人の互助組織に属する盲人。
茶碗売り
産地から届いた荷を解く者、振売りに出る者。
伊万里、有田、九谷と名産地があるなか、江戸では陶磁器を
「瀬戸物」と呼ぶほど瀬戸産が多い。瀬戸で大量生産されて供給が
安定してくると、庶民が使う日常雑器も木器から陶器になった。
初鰹売り
左端の振り売り
『守貞稿』が載せる初売りは威勢がいいが、こちらは大分草臥れている。 全部売り切って疲れたか。春の一駒である。
一番高い初鰹>八百善が買った1本4両の鰹 2本。文政6年(1823)
掃除しよ(掃除人)
掃除しよ」と言いながら通りを歩き、頼まれないのに商家の店先を掃除する。
中世の寺院に隷属した「清目」(きよめ)が近世ではこういう姿で町に出現したものか
大都市江戸には、さまざまな階層の人が暮らせる社会環境が整ってもいた。
水飴屋さん
水飴屋 (長井小右衛門)
瓦/木造/2階
>旗標 「(商標) 水あ目・長井小右衛 門」
>水引暖簾「(商標) 長井・なか井」
>掛看板「御水飴」
※ 銭一文= 江戸前期から中期で約20円~25円、 江戸後期で約30円に相当 (目安程度)
※ 参考サイト=日本銀行貨幣博物館>https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/edojidaino1ryowa/
参考資料 『熈代勝覧の日本橋』(小学館)・『大江戸日本橋絵巻』 (講談社)
『江戸の物売り』(東峰書房)・『江戸東京生業物価事典』(青蛙房)・
『日本大道芸事典』(岩田書院)・ 『江戸の生業事典』(東京堂出版)・
『東京市史稿』(東京都)・『貨幣博物館』・『大道芸通信』ほか