冬から春へかけて江戸の年中行事と生業(なりわい)

冬から春へかけて江戸の年中行事と生業(なりわい)

冬から春にかけて、 おもな行事や生業(物売りや大道芸)の光景
現在の冬は11月から翌1月までですが、江戸時代は10月から12月まででした。

『東都歳事記・歳暮交加図』国立国会図書館所蔵 -kuro.jpg

挿絵: 『東都歳事記・歳暮交加図』 長谷川雪旦画 国立国会図書館蔵

上の挿絵は『東都歳事記』が載す 「歳暮交加図(としのくれゆきかいのず)」です。 慌ただしくお正月の準備をしている様が現れていて面白いです。 右頁の上半分から左にかけては門松を作っている所です。 馬の背に乗せている松と割木は、門松の材料です。馬の前で穴を掘っている二人は、門松を固定させるためです。直ぐ左に黒い箱の中に入っている松と竹が門松です。 左頁の 注連飾りは、門松につける注連飾りの制作過程です。

玄猪(げんちょ)と炬燵(こたつ)開き

亥の月(十月)の最初の亥の日、亥の時間(21?23時頃)に亥の子餅(いのこもち)を食べたり、この日に炬燵(こたつ)に火を入れたりする「炬燵(こたつ)開き」や「炉開き」をしました。
ウリ坊の縞模様が入った亥の子餅は、猪が多産の動物だったので、あやかろうというわけです。今でも老舗和菓子屋が販売しています。

『絵本和歌浦』炬燵に入れる炭に火を起こす家族の姿絵。クロ--.jpg









挿絵 : 『繪本和歌之浦』 高木貞武画 国文学研究資料館蔵
炬燵(こたつ)開きの絵。玄月(10月)・玄猪(げんちょ)の日の風物詩。

「恵比寿講」(えびすこう)
十月は、全国の神々が出雲大社に集まるため、神無月(神不在の月)です。
そこで、神無月に出雲に赴かないえびす神を祀る「恵比寿講」が誕生しました。
恵比寿が商売の神とされていたので、10月20日裕福な商人たちは顧客を招いて恵比寿講を催しました。
恵比寿に鯛を供えると、集まった人々は売り方と買い方に分かれ、盛大に店の商品を売買。
高値で売買が成立すると、大騒ぎをして景気づけをしました。

楊洲周延『江戸風俗十二ケ月の内 十月 豪商恵北寿講祝の図 -04-kuro .jpg











挿絵:『江戸風俗十二ケ月の内 十月』 楊洲周延画 国立国会図書館蔵
三宝台に鯛、算盤を持って騒ぐ商人、それを取り巻く客。

回向院(えこういん)の勧進相撲(かんじんすもう)

 勧進相撲は現在の大相撲興行の原型で、相撲興行は寺社への寄付が目的で行っていました。
両国の回向院(えこういん)で、春と秋の年2場所各10日、10月下旬に行っていました。
観戦できたのは男だけで、回向院は興奮の坩堝(るつぼ)だったようです。
天明(1781?89)、寛政(1789?1801)期の人気力士は、谷風、小野川、雷電など。
安政(1855~60)には不知火(しらぬい)が活躍しました。

『勧進大相撲繁栄之図』一曜斎国輝画 国立国会図書館所蔵 kuro  .jpg

















挿絵:『勧進大相撲繁栄之図』 一曜斎国輝画 国立国会図書館所蔵

歌舞伎顔見世

 江戸時代の歌舞伎役者が、「座」(芝居の興行主)と雇用契約を結ぶ期間は一年でした。
毎年十月に契約が終了すると、座元たちは次の一年の役者の顔ぶれを合議によって決め、
十一月一日は芝居正月ともいわれ新規の出演者たちをそろえてお披露目興行を行いました。

安達吟光画。『大江戸芝居年中行事 顔寄せの式』-2 kuro 国立国会図書館所蔵 .jpg


















挿絵:『大江戸芝居年中行事 顔寄せの式』安達吟光画 国立国会図書館蔵

七五三

 十一月十五日、七五三は子どもが数えで三・五・七歳になると、無事に育ったことを神に報告するため、同時に今後の健康を祈願するため、神社仏閣に詣でました。
三歳女子の「髪置(かみおき)」(男子も行う場合があった)、五歳男子の「袴着(はかまぎ)」、七歳女子の「帯解(おびとき)」といいます。髪置は、当時の子は誕生後に髪を剃り、3歳になってから髪を伸ばす風習があったため。袴着は男子が初めて袴を着る。帯解は女子が初めて帯を付ける日とされいずれも武家社会の行事でしたが、町人でこれらを踏襲し商家などが中心に行っていました。今でも続いている行事です。

鳥居清長『風俗東之錦・髪置』 kuro  ボストン美術館蔵 .jpg

















挿絵:『風俗東之錦・髪置』鳥居清長画 ボストン美術館蔵

酉(とり)の市

 酉の市は、東京・浅草の鷲神社をはじめ新宿の花園神社、府中の大國魂神社などで、今も盛大に開催されています。十一月の一の酉、二の酉の少なくとも2回、暦によっては三の酉まで、多くて3回行われ、俗に三の酉の年は「火事が多い」という言い伝えでも知られてます。
 酉の市といえば熊手。熊手は本来、短い歯を櫛状に並べた掃除道具で、枯葉などをかき集める用途で使用され、それが金運をかき集める意味に置き替わり、縁起物とされるようになったようです。

『十二月ノ内 霜月酉のまち』 歌川豊国(三代目)画 kuro  .jpg

















挿絵: 『十二月ノ内 霜月酉のまち』 歌川豊国画 国立国会図書館所蔵
   商家の女将が丁稚と共に酉の市から帰る絵

歳の市

十二月下旬には、浅草観音、神田明神などで新年の飾り物や日常用品を売る歳の市が立ち、夜通し賑やかで、特に十七・十八日の浅草観音の市は有名です。境内だけでなく、南は浅草見附、西は上野黒門辺まで屋台が並び、境内では混雑に紛れて痴漢が出るので女子は男装して行った程でした。

『東都名所:浅草金竜山年ノ市』歌川広重画 国立国会図書館蔵-2--kuro .jpg















挿絵:『東都名所:浅草金竜山年ノ市』 歌川広重画  国立国会図書館蔵

煤払(すすはら)い 

師走の年中行事といえば、煤(すす)払い。江戸時代は武家や商人・町人の家も12月13日に行いました。
一家総出で煤やほこりを払って家中を清め、新年を迎える仕度を始めます。事始めとも呼ばれ、
武家・町家を掃除も単なる掃除と異なり、一年の厄を祓い、年神を迎える準備をする儀式です。煤払いが済むと、胴上げしたり商家などでは祝儀や酒肴を振る舞いました。

『東都歳事記 煤払い』早稲田大学--kuro .jpg











挿絵『東都歳事記・煤払い』長谷川雪旦画 早稲田大学蔵

餅搗き(もちつき)

 餅搗き(もちつき)は、十二月中旬頃から市中で行われ武家や大店(大きな商家)は、人に頼んで搗いてもらいました。賃銭にて餅屋に搗かせるのを賃餅といい、釜を持ちあるき搗くので引き(ひき)づり餅といい、数人一組で臼と杵(きね)を引きずって、大晦日まで各家を回りました。

歌川豊国 『十二月之内 師走餅つき』 クロ 安政1. 国立国会図書館 .jpg












『十二月之内・師走餅つき』歌川豊国画 国立国会図書館蔵

 右から、臼と杵で餅を搗く人、中央は取粉(とりこ)を薄く敷いた箕(み)を
持って搗き上がるのを待つ人、左は搗き上がった餅を丸めたり伸したり
する人です。

節季候 ( せきぞろ)
「節季(せっき)にて候」の意で江戸時代の門付けの一種。
歳末に二、三人一組でウラジロの葉をつけた笠をかぶり、赤い布で顔を覆い、四つ竹などを鳴らしながら「せきぞろ、せきぞろ」とはやして家々を回り、米銭(べいせん)を請いました。

『近世職人尽絵詞・節季候(せきぞろ)・賃餅 餅屋』 鍬形蕙斎画  kuro--.jpg









『近世職人尽絵詞・節季候(せきぞろ)・賃餅 餅屋』 鍬形蕙斎画 国立国会図書館蔵
 踊っている左の二人が節季候 ( せきぞろ)です。

【参考資料】

『東都?事記』 『江戸府内 絵本風俗往来』 『嬉遊笑覧』 『守貞謾稿』
『国立国会図書館』 『東京国立博物館』 『早稲田大学』 『国文学研究資料館』 『大道芸通信』

この記事について

このページは、江戸東京下町文化研究会が2023年11月30日 00:35に書いた記事です。

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