タグ「両国橋焼失、甲午火事、浅草猿若町、べらぼう、彰義隊、寛永通宝、為永春水、大伝馬町木綿問屋仲間、」が付けられているもの

令和七年二月 月建では卯(う)月。

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「二月は万物地を冒して出づ。ひらく」と説文にあり。
(説文:西暦100年ごろに成った中国最古の部首別漢字字典)
和風月名では、如月(きさらぎ)、着更着とも書く。
キサラギの由来については諸説あり。

《二月 こよみ》-旧暦-
・2月 1日寛文 8年(1668)牛込から出火、両国橋焼失。
・2月 2日元禄 4年(1691)相生橋が昌平橋と改名。
・2月 3日天保13年(1842)【浅草猿若町】歌舞伎中村座・市村座・森田座が浅草に替地。
・2月 4日慶長 9年(1604)日本橋江戸日本橋を元標に街道に1里塚を設ける。
・2月 5日天保13年(1842)*為永春水、人情本を多数執筆して手鎖となる。
・2月 6日宝暦10年(1760)神田火事、神田旅籠町から出火深川へ飛び火し延焼。
・2月 7日天保 5年(1834)甲午火事、神田佐久間町より出火中村座・市村座が類焼。
・2月 8日元禄 8年(1695)未刻、大風。四谷伝馬町より出火、芝札の辻海辺まで焼失。
・2月 9日享保 2年(1717)神田橋外の護持院を収公し護国寺とあわせ、跡は火除地とする。
・2月10日享保10年(1725)本所猿江御材木蔵跡入堀の埋め立てが完了。
・2月11日承応 2年(1653)幕府代官伊奈忠治が玉川上水開削の奉行を命じられる。
・2月12日慶長 8年(1603)《徳川家康、征夷大将軍就任》
・2月12日安政 6年(1859)魚問屋2000人が南町奉行所へ抜荷禁止の訴状を提出。
・2月13日慶長12年(1607)江戸城本丸・西の丸で16日まで能が催され、町人の観覧が許される。
・2月14日延宝 3年(1675)大飢饉により、柳原の土手下に御救小屋を建て難民に粥が施される。
・2月15日寛永 元年(1624)歌舞伎中村勘三郎が中橋で歌舞伎芝居を初めて興行する。
・2月16日文化 2年(1805)芝人神明社の勧進相撲で力士とめ組の鳶が大乱闘。
・2月17日明暦 3年(1657)明暦の大火後の建築ラッシュで賃金が高騰、人夫・職人の賃金が公定。
・2月18日元和 8年(1622)文政8年(1825)異国船を見つけ次第い打ち払い令がでる。
・2月19日宝永 元年(1704)初代市川団十郎(50歳)が生島半六に殺傷される。
・2月20日慶長12年(1607)出雲の阿国が江戸城本丸・西の丸で歌舞伎踊りを演じる。
・2月21日明治 5年(1872)嘉永元年(1848)寺小屋師匠など花見を行く際、道化な格好を禁止。
・2月22日宝暦12年(1762)防火建築に奨励されている地域での、瓦葺屋根設置が励行される。
・2月23日明治 元年(1868)旧幕臣らが彰義隊を結成し、上野を占領。
・2月24日安政 5年(1858)米価高騰のため、廻米が命じられる。
・2月25日慶安 元年(1648)町人が、伊勢参り・大山参りで、華美な風俗をすることが禁じられる。
・2月26日明治 5年(1872)大風、和田倉御門内元会津侯邸、当時兵部省添屋敷より出火。
・2月27日元禄10年(1697)亀戸村に1万5千坪の新銭鋳造場で寛永通宝を造る。
・2月28日宝暦 5年 (1755)防火用の桶・水溜桶を各町で用意するよう命じる。
・2月29日明和 9年(1772)見黒行人坂火事。明暦・文化と共に江戸三大大火の1つで934町延焼。

》二月 是月(このつき)--------
・寛永19年(1642)2月より5月より天下大飢饉、江戸でも餓死者多く仮屋を設けて粥をあてえる。
・慶安元年 (1648)伊勢詣で、大山詣での華美を禁じられる。
・貞享3年 (1686)大伝馬町木綿仲買70軒、木綿問屋兼業となり仲間を結成。
・元禄4年 (1691)*大伝馬町木綿問屋仲間、売場問屋に販売地域制限を申し入れる。
・元禄10年(1697)大伝馬町木綿問屋仲間、町内より越後屋への木綿販売を禁じる。
・元禄13年(1700)大伝馬町木綿問屋仲間、越後屋・白木屋など4件への販売禁止を申合す。
・宝永8年 (1711)借駕籠に戸を立て簾をかくる事及び規定外の者を乗する事を禁じらる。
・享保19年(1734)両国橋辺広場に鯨の見せ物出る。
・延享4年 (1747)深川木場材木問屋11人、材木を問屋外商人へ売却することに抗議し訴訟。
・明和5年 (1768)江戸・京・大阪の町人の内おくら信徒(浄土真宗の一派)制禁の令。
・天保13年(1842)木魚講・富士講・題目講ともに禁じらる。
・安政3年 (1856)浅草寺奥山に活偶人の見物再び出る。

二月関連コラム》
〇【べらぼう】江戸うまれ諸説の由来。
  >江戸言葉 月ごよみ「べらぼうめ」と「べらんめえ」
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
〇【浅草猿若町】2月3日天保13年(1842)歌舞伎中村座・市村座・森田座が浅草に替地。
>江戸東京下町地名めぐり「猿若町」
  http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd1/
〇【玉川上水】2月11日承応2年(1653)幕府代官伊奈忠治が玉川上水開削の奉行を命じられる。
>暦から読み解く江戸東京「玉川上水年表」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/tamagawanenpyo.pdf
〇【彰義隊】2月23日明治元年(1868)旧幕臣らが彰義隊を結成し、上野を占領。
  >江戸十万日「偉大ではないが、しぶとく消極的であることがもつ価値」
  http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2019/12/
〇【寛永通宝】2月27日元禄10年(1697)亀戸村に1万5千坪の新銭鋳造場で寛永通宝を造る。
  >江戸言葉 月ごよみ「銭の話」
  http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16

為永春水(ためなが しゅんすい)
 江戸時代後期の戯作者。寛政2年(1790) - 天保14年(1844)
  『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ) 』など人情本(庶民の恋愛) の代表作家。

大伝馬町木綿問屋仲間
 大伝馬町には「大伝馬町木綿問屋仲間」と呼ばれる、木綿販売の独占権を持った組合があった。
 そのため、越後屋、白木屋、松坂屋といった有名呉服店のほとんどがこの周辺に店を構えていた。

《二月推奨催事》 http://www.edoshitamachi.com/modules/piCal/

参考文献 》 武江年表(東洋文庫)・東都歳時記(東洋文庫)・東京市史稿(東京都)・ 江戸町人の研究(吉川弘文館)・江戸東京年表(小学館)など

江戸東京下町文化研究会

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