新宿末廣亭は戦争で一度焼失したが、初代席亭の北村銀太郎によって昭和21年(1946年)に再建された、都内の上席としては唯一の木造建築である。
その新宿末廣亭で落語を聞いているとき、地震にあったことがある。建物全体がグラッと傾いたように感じるほど大きく揺れた。
一瞬で収まったので、その後再開されたのだが、地震のせいでプログラムが大幅に変わってしまった。順番が変わった程度のことではない。噺家や芸人さんがほとんど入れ替わってしまったのだ。
理由は様々だ。楽屋を飛び出したまま帰らなかったり、寄席に向かっている途中に地震が来て交通機関が止まってしまったり。洒落で言っている部分もあるのだろうけれど、とにかく予定していた出演者がいなくなってしまったのは本当らしいのだ。
これでは続行できない。いったいどうなるのか。
しかしながら実際には、出演者と演目が変わったことを除けば、何事もなかったかのように、プログラムは進行したのだった。
楽屋裏がたいへんだったであろうことは演者の話で何となくわかった。
「今日は休みなので自宅でごろごろしていたら、いきなり来いと言われて、何が何だかわからないけれどとりあえず来ました」とか「末廣亭の前を通りかかったらいきなり腕をひっつかまれて引き入れられた」とか、ひどいのになると「地震だから来てくれと言われた」とか。多少大げさに話しているにしても、半分は事実なのだろう。
漫才や曲芸など、ひとりではできない芸人さんは都合がつきにくかったのだろうか、結果的には噺家ばかり集まったので、延々と落語を聞くことになった。
だがここでハプニングがあった。違う噺家が同じ演目を演じてしまったのである。出演者がピンチヒッターだらけで演目の調整まで手が回らなかった可能性が大である。結局この日の聴衆は古典落語の定番「たがや」を二回聴くことになった。
しかしながらこれは寄席のタブーだったようである。この話を席亭にしたところ顔色が変わったからである。よく確認しないままに同じ演目を演じてしまったこの噺家は後で席亭にこっぴどく怒られたのではないかと思う。
客の側でそれを責める人はひとりもいなかったと思う。続行することのたいへんさが客席にも伝わっていたからである。
客がいる限りは興業を続けようという席亭の心意気と、それにこたえて高座に上がってくれた噺家さんたちのサービス精神に、むしろ感謝し拍手を送りたい。
これぞ江戸魂である。
*新宿末廣亭(新宿三丁目)http://www.suehirotei.com/
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