コラム(江戸魂千夜一話)

青山富有柿プロフィール
かわら版指南。趣味は読書と散歩。好きな食べ物はお蕎麦。
江戸東京下町文化研究会会員。

江戸魂千夜一話概説
 江戸時代の庶民生活には何かとてもいい雰囲気があったような気がしています。そこには生活のためのいろんな知恵がつまっていたのではないかと思います。時代の変遷を繰り返すうちに、そのよさがだんだんと失われつつあるとはよく言われることですが、探せばまだまだたくさんあると思っています。 
  このエッセイでは、江戸のよさを感じさせてくれるような、おもしろいエピソードをたくさん探し出してきて、簡潔にわかりやすく紹介していきたいと思っています。

►CONTENTS
第一話「寄席は健康にいい」
第二話「ボーイズバラエティ協会」
第三話「酉の市(とりのいち)」
第四話「江戸っ子気質(かたぎ)」
第五話 「野暮(やぼ)はだめ」
第六話「天ぬき」
第七話「負けずぎらい」
第八話「寄席で地震」
第九話「落語をやらない落語家」
第十話「ほおずき市」
第十一話「隅田川花火大会」
最終話「江戸時代のこどもたち」
第七話「負けずぎらい」

 前回「天ぬき」の意味を間違えているという話を書いたら、本人から抗議が来た。
蕎麦屋が間違えただけで自分はわかっていた、あえて指摘しなかっただけ、というのが言い分である。本人しかわからない話なので、そうですかとしか言いようがない。 
 とにかく負けずぎらいである。
とりわけ許せないのは自分の知らない蕎麦屋を紹介されることである。蕎麦通を自負する江戸っ子としては、素人に蕎麦屋を教えられるなんてことはあってはならないことなのだ。おいしくても、ほめるのは蕎麦かつゆのどちらか一方で、両方ともほめるなんてことはこれまで一度もない。たいてい「蕎麦はまあまあだけどつゆが甘すぎ」とか「つゆはがんばっているのに蕎麦が残念」とか言う。
けちをつけるのは味だけではない。
たまたまこれが老舗の蕎麦屋からのれん分けしたお店だったりすると、すかさず「師匠の蕎麦はもっとうまかった。まだまだ修行が足りん」と言ったりする。師匠の蕎麦がわからないからこれも反論のしようがない。
のれん分けでない場合には、店内をぐるりと見回して内装にけちをつけたりする。いわく「かっこうばっかりで中身がない」。
味に関係なく、おしゃれであればあるほど「かっこうばっかり」と言われるわけで、これではお店の立つ瀬がない。ここまで来るとほとんど言いがかりと言ってよいだろう。負けず嫌いの領域を超えている。
 さらにエスカレートすると今度は「なまいき」である。
もっともこの「なまいき」には、若干ではあるが評価の意味も含んでいるようだ。そのこころは「なまいきざかりだが、実力以上に背伸びしてがんばっているじゃないか、その調子でやっていれば将来少しはものになるかもしれない」といったところ。上から目線である。
 最近言われたのに「このお蕎麦は普段食べるのにはいいですね」というのがある。ほめているのか、けなしているのかわからない。
特別の日に食べるには物足りない蕎麦ということなのだろうが、そもそも特別の日というのがわからない。
素直に「ここのお蕎麦はおいしいですね。また来ましょう」というひとことが言えないものか、と思ってしまう。
ただこう言ってしまったら江戸っ子らしくないのも確かである。

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