寄席でぐうぜん知人といっしょだったことがあるらしい。そのことをあとで人に教えられて知った。
「こないだ寄席にいたでしょ。清流さん見たわよって○○が言っていたわよ」
「なんだよ、声をかけてくれたらいいのに、みずくさい」
「とっても平和な顔で、ケラケラ笑っていたって。じゃましたらいけないと思って、声をかけなかったって言っていたわよ」
平和な顔だったらしい。
声をかけるのをためらうような平和な顔ってどんな顔だ?
自分の顔は見られないから、想像するしかない。他のお客さんはどんな顔をしているのか、寄席に行ったときに見回してみた。とうぜん知らない人ばかりである。寄席にいるからこの顔なのか、それとも普段からこうゆう顔なのかわからない。ただ、ざっと見渡してみて、平和な顔がどんな顔なのか、なんとなくわかったような気がした。
それは、たぶんすっかりくつろいだ、いわば無防備な顔「+何か」である。この「+何か」は寄席がもたらす「何か」である。
平和な顔がいい顔であることはまちがいない。知人がそっとしておこうと思った顔である。それはどちらかというと、何かに夢中になっているのを邪魔してはいけないという気持ちより、安らかに眠っている赤ちゃんをおこさないようにしてあげようという気持ちに近かったのではないだろうか。
そんなことをつらつら考えているうちに、十年以上前に末廣亭の席亭に言われたことを思い出した。
「先週も新聞記者が来ていろいろ聞いていったんだけど、ほんとうは、落語は楽しむもので、こむずかしく考えるものじゃないんだよね。だいたい落語にはひとりもりっぱな人は出て来やしないんだから。江戸時代から寄席は庶民のストレス発散の場だったんだよ。落ち込んだりむしゃくしゃしたときに、八っつぁん、熊さんの話を聴いて、ばかだねえって大笑いして、さあ、明日もがんばろうって、寄席はそうゆう場所だよ」
映画館や遊園地がなかった時代である。寄席は庶民が最も手軽に気分転換のできる場所だった。当時も入場料はリーズナブルだったし、夕方くらいから落語を一席だけ聴いて帰る、なんてこともできたようだ。最盛期には江戸に125件の寄席があったという。*1
噺家たちはお客を楽しませるために、日々知恵をこらし、話術を磨いている。その積み重ねが落語という話芸を芸術にまで発展させてきた。正座して聞かないといけないような、立派な人の話はなく、与太郎や金坊が登場する、おもしろい話ばかりである。
寺子屋で聴くような偉人の話はためにはなるが、ストレス発散にはならない。世の中、まじめ一辺倒では息がつまってしまう。ときには息抜きや遊びも必要だ。寺子屋も必要だが寄席も必要、要はメリハリである。江戸人は緩急の使い分けがたくみだった。
寄席に行けばいつでも、噺家や芸人がおもしろい芸でたくさん笑わせてくれる。日常の緊張感から解放されて、疲れた心はおおいに癒される。この「癒し」こそ、寄席が「平和な顔」にもたらしている「+何か」の正体である。
もし噺家の話術を学ぼうとか、研究や分析を目的に寄席にいたとしたら、けっして「平和な顔」にはならないだろう。そこに知り合いがいたら、ためらうことなく「今日はおしごとですか」と声をかけてくるにちがいない。
了
*1 寄席がもっとも盛んになったのは、文化・文政 (ぶんかぶんせい)年間で、1815年(文化12)に江戸市中に寄席は75軒、文政年間(1818〜30)には125軒を数えた(日本大百科全書ニッポニカ「江戸時代の寄席」より抜粋)
都内寄席ガイド
鈴本演芸場(上野)http://www.rakugo.or.jp/
浅草演芸ホール(浅草)http://www.asakusaengei.com/
新宿末廣亭(新宿三丁目)http://www.suehirotei.com/
池袋演芸場(池袋)http://www.ike-en.com/
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