☆山岡鐡舟(1836〜1888)
山岡鐡太郎。本所に生まれる。父小野朝右衛門高、母塚原磯(先祖に塚原ト伝)。幼少から神蔭流、北辰一刀流、浅利義明の門下となり、維新後は無刀流の開祖となる。
幕臣として清河八郎と共に浪士隊を結成。江戸無血開城に深く関与。明治政府では静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任。
1882年(明治15年)、16代徳川家達は無血開城の功として鐡舟に名刀「武蔵正宗」を贈与した。
��-2.山岡･西郷の会談
3月6日、東征軍は��3月15日に江戸城攻撃�瓩量仁瓩鮟个靴拭Ｅ豎て擦鮨覆鵑任い紳臍軻諜椶隆鰻海禄拮椶謀�着し、その先鋒は六郷川にまで達していた。もう品川は目と鼻の先である。その中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鐡太郎、大総督府へ通る」と気合のような声を発しながら進んで行く。山岡はたしかに巨漢であったが、それでも銃兵が左右にズラリと並んでいるというのに、不思議なことに誰一人、山岡、益満の行く手を遮る者はいなかった。
3月9日、二人は、兵の汗の匂いと馬の嘶きが渦巻く東征軍の隊列を縫うようにして歩いて駿府の陣営に向かった。神奈川駅辺りには長州隊がいた。今度は益満が先に立って「オイは薩摩藩士でゴワス」と名乗っていって進んで行った。薩摩と長州の関係から、益満自身が通行手形のようなものだった。
この益満という男は西郷の命によって、江戸の攪乱策に携わった人物であった。ところが益満は薩摩藩三田屋敷を焼き打ちにした際に捕えられ、海舟が預かっていたのである。
そんな男と山岡の二人は、とうとう駿府伝馬町に辿り着き、山岡は西郷と会うことになった。
会見は、東海道脇本陣の松崎屋源兵衛宅で行われた。
西郷は、平気な顔をして飛び込んできた山岡に「あろうことか」と目を剥いて驚いた。同時に、益満の顔を見るや「よう戻って来た」と満面の笑顔になった。しかし、その実は内心「勝先生にやられた」と思っていた。西郷は幕府が薩摩屋敷を焼き打ちにしたとき「ようし、コイで維新は成ったバイ」と手を叩いたものだった。名分が立って、堂々と幕府を攻めることができるというわけである。しかし、今は違う。あのときに捕まった益満を熨を付けて返されたようなものである。しかも道案内までさせて。「勝先生も、お人が悪か」と思うのも無理からぬことであった。
さっそく鐡太郎が口を開いた。
「西郷先生。なぜ大軍で江戸を攻めようとするのですか。」
まるで木刀を構えて、正面から突っ込んでくるかのような問いである。
「オイたちは人を殺すためでも、国家に乱を起こすためでもナカ。�猊垉悪瓩弔泙衄麁擦鯆丹気垢襪燭瓩法�行くトでゴワス。」
「わが主･徳川慶喜は恭順謹慎して大慈院に蟄居しているというのに、それでも大軍を進発させるのはなぜですか」。
「恭順、恭順テ言うバッテン、甲州じゃ、近藤勇ドンが官軍に抵抗し、戦争バ始めとるチュウ。」
「そういう鼠賊の輩はどこにでもおります。」山岡は切り捨てるように、そう言った。大局を判断する際に小さい材料に目を止めるのか、と言うのである。
「･･････。」西郷はしまった、と思った。
「それ故に、微臣山岡鐡太郎が一命を投げ出してわが主の赤心を示そうとしている。」
一命を投げ出して ― まさにそうである。たった一人で敵陣へやって来たのである。
本来サムライとは、名や金(領地)のために命を犠牲にするものである。言葉を換えれば�狄Χ箸箸靴討良雹劉瓩任△襦�しかるに、「コン男はちがう。コイまでにオイドンになか尺度バもって測らンバ、イカン人物である」と思った。というよりか、たった独り、命懸でやって来た山岡鐡太郎という男に西郷は惚れてしまった。もはや理屈は不要であった。
それでも山岡は打ち込んでくる。「自分と同じ考えを持つ者は旗本八万騎のうちにいくらでもおります。連中はいつでも戦う気であります。とすると徳川の将来はさておき、わが日本の将来はどうなります！ それでも官軍は進撃すると申されるのか！」
「･･････。江戸の状況は分かり申した。そん趣旨バ、緊急参謀会議に諮りまッしょう。しばらく控えとってください。」
部屋を出ると西郷は肩をすくめて周りの者に言った。「山岡さんと剣術バしたときニャ、あん人ンゴツ打ち込みづらカお人はおらんバイ。オイドンば真っ直ぐに睨み続けておらしゃったバイ。思うたバッテン、たぶん剣一筋に生きてきたお人なんじゃろのう、命も金も名もいらんチュウテ。ソイガ人柄によう出チョル。」
しばらくして西郷は、総督の有栖川宮の合意を取りつけた五ケ条を紙に書いて持ってきた。
一、慶喜を備前藩へ預ける事
一、城を明け渡す事
一、軍艦を残らず渡す事
一、兵器一切を渡す事
一、城内居住の家臣は向島に移り、慎む事
山岡は「よろしい」と答えたが、一呼吸間をおいて「ただし、一ケ条だけは、どうしてもお受けすることができぬ」と言った。
「どの事でゴワスか。」
「慶喜を備前藩へ預ける事に関してはどうしてもお受けできない。」
「朝命でゴワス。」
「臣として、イヤ人間としてできぬ。」
「朝命でゴワス。」
「西郷先生、座を変っていただきたい。」
「ん？」
「いや。話の例えでござる。仮に、私がそちらに座っていて、先生がこちらの座だといたしましょう。島津候が他家へお預かりの身となられたら、島津家の皆様はどうされますか。」
「･･････。」
理屈はその通りだが、部屋の外では血気盛んな者たちが手ぐすねひいて待っている。というのに、この御仁の何と大胆なモノの言いようか。剣の達人だというから、殺気は感じているはず。現に鯉口を切る音が耳に入ってくる。
「わかり申した」。西郷は先手を打ってそう言った。で、なければ襖を蹴破って若者たちが飛びだして来るだろう。しかし、西郷が見るところ、鐡太郎はこの間一度も刀を取ろうとしなかった。
「その事はオイが責任をもちまっしょう」。さらに西郷は鐡太郎にこう言った。「マア酒ドン、飲んでいかんですか」と。
とたんに部屋の空気が和らいだ。
大役を果たした鐡太郎は江戸に戻ることになった。
西郷は益満に「お主はとがんするト」と訊いた。
「江戸に戻ります。山岡先生の警護がオイの務めですけん。」
「ああ、そいがヨカ。」幕府には大人物がそろっている、とまでは言わなかったが、西郷は二人を見送りに外まで出てきた。
海舟は、江戸に戻った山岡から西郷との会見の報告を受けた。
「そいつぁよかった、これで江戸の街も一安心だ。山岡さん、あんたはてえした男だよ。」
義兄の高橋精一郎も、同じことを言った。
この兄弟は、�犢颪里燭瓩某圓�す�瓩箸いΔ海箸鮹里辰討い拭�そのために兄高橋はただ黙々と慶喜を護衛し、弟山岡は真剣勝負で事を処するのであった。
だが、勝は少しちがっていた。この兄弟ですら海舟の考えること、やることが理解できない面もあったが、ただ勝も無私の心で動いていることは確かであった。だから兄弟は勝を信頼していた。
海舟が人に理解されないのは「一安心だ」と言いながらも、同時に「安心できねエ」と発想するところだった。西郷と山岡の会見は信頼する。だが、他の官軍の連中がそれを破らないともかぎらない。現に、江戸総攻撃の風評は消えていない。と、思うだけならよくいる心配症だが、海舟は次々と手を打っていく。「奴らにこのお江戸に火を点けられるぐれえなら、オレたちの手でお江戸の空を真ッ赤にしちまおうじゃねえか。」これには高橋兄弟も少しだけ驚いたが、しかし古来から戦術としては確かにある。火を点けられれば攻められたことになるが、自ら火を付けるのは防戦になる。敵は攻めあぐねるし、人的被害にも格段の差がある。
海舟は江戸町火消の頭･新門辰五郎や江戸の街の顔役たちを駕籠で回り、「もしものときは、合図をするから江戸町人たちを船で房総の木更津や市川に運んでくれ。その上で江戸の街に火を点けナ！」と命じて大金を渡して回った。それもまるで碁か、将棋の勝負事にでも挑むようなキラキラした目をしてである。
それが却って皆の安心をよんだ。親分たちは「安房守様自らがおいらたちのことを心配なすって動いてなさる」と、噂は江戸中に伝わった。
敵の攻撃風評が伝わってくるならば、風評には風評。こちらも江戸っ子の気概を見せつけようという作戦であった。
さらに海舟は幕府の軍艦を江戸湾に終結させた。
その上で勝は西郷に、先の西郷山岡会見の『五ケ条』をほとんど反故にする
ような内容に書き改めて『七ケ条』として送りつけた。
それを知っても山岡は怒らなかった。西郷は信頼できる男であるが今は敵、
味方の勝を信頼しないでどうするとの思いはむろん、勝に何か作戦があるなとも直感したからであった。ここが西郷が見抜いた、山岡の「名もいらぬ」という点であったのかもしれなかった。
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