
都電荒川線の鬼子母神前停留場 から鬼子母神堂に続く100メート ルの大門通りには風情ある欅並木が 続き、特に夏は並木道を歩くとかな り涼しく感じる。天正年間(1573 ~8年)に京から移り住んだ長島 内匠が土地とともに数十本の竿を奉納植樹したといわれている。 昭和10年代には3本の襷が確認 されていたが、高度成長期の昭和5 年(1960年)頃から大気汚染、下 水道工事、自動車の走行などで根が傷み次々と枯れ、西側に3本、東側 に1本を残すのみとなった。昭和5 年に「欅並木」が法明寺所有から東京府へ移管され「天然記念物」に指 定され、地元有志達と都、区との交 渉により一部、伐採と植え替えが行 われている。

この保存会は、秋田雨雀(うじゃく)や本納 寺住職兜木正亨(かぶとぎしょうこう)らが中心となって 昭和15年(1940)頃に発足した。 大門通りの入口左手に「都天然記念 物 鬼子母神大門欅並木』の石標が あるが、これは昭和30年(1955) 5月に鬼子母神大門欅並木保存会が建立したものである。現在も、保 存会は地元有志らで継承され結成 されており落ち葉掃きとともに欅並木の保全活動が行われている。平成28年(2014年)、雑司ヶ谷地域 が日本ユネスコ協会連盟から「未来 遺産」に選ばれ、登録証書の伝達式 の席上で七代目会長・田中伸さんが 「雑司ヶ谷案内処」の前の最後の1 本の再度の植樹をその建物の大家 である砂金さんに提案し、高野豊島 区長に話したところ実現に至る。ま さに地元の地道な努力と情熱で欅 並木は完全復活するのである。

▲石標 「都天然記念物 鬼子母神大門欅並木」
▲右絵/歌川広重 江戸高名会亭尽 雑司ヶ谷之図 大判錦絵
取材協力:豊島区立郷土資料館・鬼子母神 大門欅並木 保存会 (『豊島の選択』より加筆転載)
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