乾板製造に成功するものの 関東大震災による損害
高橋慎二郎が水質が最も良いという条件から雑司ヶ谷という土地を選びこの地に高橋写真乾板研究所を設立。
東洋乾板設立までの乾板の研究と試作は自宅の横にある作業所で行なわれた。
乾板製造の成功で資産家の菊池恵次郎の支援を得て、大正8年2月11 日東洋乾板株式を設立する。
その後、技術向上を重ねながら、国産乾板を製造する。
大正9年、新工場も出来上り生産も増加していく。 、当始の乾板は、「ネルソン」、「ロイド」などの名称を付けて出荷する。大正10 年1月に慎二郎の名とった「ST乾板」を発売。品も上がり、量を契機に軌道っていくのである。
ところが大正12 年9月1日関東大震災がおこり、原料ガラス、薬品をはじめ大量の在庫乾板が粉砕し大損害受けてしまうである。


取材協力:豊島区立郷土資料館 (『豊島の選択』より加筆転載)
前のページ 雑司ヶ谷物語~➀日本写真発展史 |
コンテンツのトップ |
次のページ 雑司ヶ谷物語~③日本写真発展史 |