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上野春のぼたん祭り
上野東照宮のぼたん苑は、日中友好を記念して1980年に開苑した。日本庭園には樹齢40年以上の見ごたえのある大株の牡丹や中国、アメリカ、ヨーロッパ品種を含め100種以上500株以上の牡丹が咲き誇る。 入苑料≫大人(中学生以上)700 小学生以下無料
詳細>https://uenobotanen.com/
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深川天神藤まつり
4月の下旬から一斉に咲き始める、藤の花。薄紫の可憐な花が幾つもの房となり、藤棚から風に揺れる様はとても美しく、“東京一の藤の名所”と呼び声高いのもうなずけます。藤棚の下には心字池が静かに広がり、水面に映る紫のコントラストも亀戸天神社ならでは。 この美しい藤の花は、江戸の名所として五代将軍綱吉公、八代吉宗公が訪れたという記録があり、また多くの浮世絵などの題材にもなっているという、由緒ある藤でもあるのです。また、亀戸駅から亀戸天神社へ徒歩で向かう途中の、下町情緒あふれるまち歩きも合わせて楽しむことができます。 詳細》http://kameidotenjin.or.jp/
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鉄砲洲稲荷神社例大祭 〜 平成30年以来6年振りの本祭り
5月に入って都内で最初に行われる祭りで有名。 本年は平成30年以来6年振りの本祭り。
場所>京橋・明石町・入船・新富・銀座エリア氏子17ヶ町会 連絡先>鉄砲洲稲荷神社 中央区湊1-6-7 03-3551-2647 宮神輿>台座4尺1寸5分 大正5年製作 製作者/八丁堀・秋山三五郎、延軒屋根・平屋台造りの品格漂う大神輿 概要>5月に入って都内で最初に行われる祭り 3年に一度の本祭は、全17ヶ町の氏子区域を御鳳輦・本社神輿が渡御。 由来>起立の年月として口碑に伝えるところはきわめて古く承和年間(9世紀)というが、 元祿十六年および文政十二年の火災に社記を焼失して詳しいことはわからない(中央区史)" 江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきた。鉄砲洲の地は、徳川家康公入府のころは、鉄砲の形をした南北八丁の細長い、隅田川口の島であった。寛永のころ(一六二四−四四)砲術の家井上、稲富両家が、ここで鉄砲、大砲の射撃演習をしていたのでこの名が生じたともいう。 HP>http://www.teppozujinja.or.jp/yuisho.html
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烏森神社例大祭〜6年ぶりに本社大神輿が渡御
令和六年の例大祭は、6年ぶりに本社大神輿が渡御いたします
場所>新橋エリア15ヶ町会 連絡先>烏森神社 港区新橋2−15−5 03−3591−7865 宮神輿>八つ棟型、四方の蕨手にカラスをのせた本社千貫神輿。四面ある屋根の各面に切妻が載っている八つ棟型の神輿は珍しい。 昭和5年11月製作:台輪寸法123cm×125cm 神田田代町の神輿師[だし鉄]こと山本正太郎作 概要>2年に1度の本祭りでは本社大神輿の渡御 由来>祭神 倉稲魂命、瓊々杵尊、天鈿女命。 もと烏森稲荷と稱した。朱雀天皇の天慶二年、藤原秀郷が平将門追討の時、自己の封彄中で景勝の緑樹地帯を選び、稲荷の神靈を勧請したのに起源すると傳へられてゐる。(芝區誌) HP>http://karasumorijinja.or.jp/
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三崎神社例大祭
*本年は、例大祭挙行
場所>三崎町エリア9ヶ町会 氏子町域は水道橋駅から神保町駅、一ツ橋JCT付近までの縦長のエリア 連絡先>三崎神社 :千代田区三崎町2丁目9−12 03-3261-1849 宮神輿>三尺8寸(115)の台輪、平屋台延べ屋根、昭和4年神田・宮惣作。 概要>2年に一度執り行われる本祭りは、一日目に氏子町会9基の神輿が連合で渡御宮入され、 翌日には台座3尺8寸の華麗な本社神輿が氏子9町会を渡って渡御巡行。 由来>三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)豊島郡三崎村鎮守として創祀し、慶長8年(1603)・万治2年(1659)・万延元年(1860)と移転を続け、明治38年当地に移転したという。 三崎町という町名が誕生したのは明治5年(1872)、江戸に幕府が開かれる前、この地にあった三崎村が町名の由来だ。江戸が開発されるまで現在の大手町から日比谷や新橋周辺には日比谷入江と言われる遠浅の海が広がっていた。三崎村は日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったためこの名が付いたといわれる。 詳細> https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/45
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