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舞を伴う外来雅楽である舞楽が中国や朝鮮から日本に伝えられたのは、古く奈良時代のことです。平安時代には宮廷の饗宴(きょうえん)用として日本で発展を遂げた舞楽ですが、その時代の舞楽面や装束はほとんど遺されていません。中世になると寺社の儀式の中で舞楽の奉納が行われるようになり、鎌倉時代から室町時代にかけて用いられた面・装束類が伝えられました。 特に、弘法大師が高野山で勧請(かんしょう)した和歌山・天野社に伝わる舞楽面、舞楽装束、天冠などは、鎌倉時代より続けられてきた一切経会(いっさいきょうえ)という仏教の法会に用いられたものとして知られています。縫い締め絞りによる鮮やかな藍染(あいぞめ)や、模様を彫り出した板に裂を挟み、強く縛って染料に浸した板締(いたじめ)で染め出した総模様の衣装は中世独特のものです。鎌倉〜室町時代には一般的に用いられていた蛮絵(ばんえ)と称される木版による墨摺絵(すみずりえ)も、江戸時代以降は刺繍へとより華やかな傾向へ変わっていきました。そのほか、錦や刺繍にも中世に特徴的な技法が見られます。
近世に様式化され現代に遺された伝統とは異なる、中世的な舞楽の意匠表現をご覧ください。
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