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2029年 6月 9日(土)
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 (継続中)
深川天神藤まつり
4月の下旬から一斉に咲き始める、藤の花。薄紫の可憐な花が幾つもの房となり、藤棚から風に揺れる様はとても美しく、“東京一の藤の名所”と呼び声高いのもうなずけます。藤棚の下には心字池が静かに広がり、水面に映る紫のコントラストも亀戸天神社ならでは。
この美しい藤の花は、江戸の名所として五代将軍綱吉公、八代吉宗公が訪れたという記録があり、また多くの浮世絵などの題材にもなっているという、由緒ある藤でもあるのです。また、亀戸駅から亀戸天神社へ徒歩で向かう途中の、下町情緒あふれるまち歩きも合わせて楽しむことができます。
詳細》http://kameidotenjin.or.jp/

 
 (継続中)
初夏の六義園~大名庭園でさつきと和のあじさいを楽しむ~ 
六義園には約200株のサツキと約15種1,000株のアジサイがあり、これから迎える見ごろにあわせて、「初夏の六義園~大名庭園でさつきと和のあじさいを楽しむ~」を開催いたします。解説パネルの展示や、「あじさい六義園」(リーフレット)の配布、「職員によるあじさい特別ガイド」などを行います。
六義園のアジサイは日本古来のアジサイ(ヤマアジサイ)を中心に、江戸時代から知られている古品種を中心に見ることが出来ます。この「和のあじさい」は西洋アジサイの手まり咲きの形とは異なり、額咲きの、繊細で優美な花が特徴的です。

【入園料 】一般 300円 65歳以上 150円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)

【詳細】
https://www.tokyo-park.or.jp/park/rikugien/news/2024/park_info_5.html



 
 (継続中)
花菖蒲まつり「花菖蒲を楽しむ」 
江戸時代初期、水戸徳川家の中屋敷(後に上屋敷)の庭として藩祖頼房公が造り、水戸黄門で名高い光圀公が完成させた小石川後楽園では、5月末から6月中旬にかけて660株のハナショウブが見ごろを迎えます。その見ごろの時期に合わせて、より近くでハナショウブをご覧いただけるように菖蒲田の脇に木道を設け、「花菖蒲を楽しむ」と題してお客様をお迎えします。東京のオアシスで、優美なハナショウブに彩られた新緑の美しい田園風景をお楽しみください。
ハナショウブを間近でご覧いただけるよう菖蒲田の脇に木道を設置します。
【入園料】 一般 300円 65歳以上 150円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)


【詳細】
https://www.tokyo-park.or.jp/announcement/030/detail/52365.html



 
 (継続中)
素盞雄神社 天王祭  
日時>6月1日(木)例大祭斎行 3日(土)本社神輿宮だし・4日(日)本社神輿宮いり  

概要>神輿の担ぎ棒は四本や六本を井桁型に組んで担ぐことが多いが、天王祭二本のみで担ぎ、神輿を左右へ倒して激しく振る「神輿振り」が特徴。
大祭では四間半(8.1m)の二天棒で担ぐ千貫宮神輿が渡御し祭神のスサノオノミコトが大蛇(おろち) から救い出し結婚したといわれる稲田姫の山車人形が飾られる。  室町時代の天文十年(1542)に荒川洪水の折、町屋村杢右衛門が御殿野(現在の町屋地区) に古き神輿を得て神輿渡御が行われた古事を今に引き継ぎ町屋の氏子衆が宮出しを行う。

宮神輿>台座幅/四尺一寸(124㎝) 制作/明治10年 神輿師/行徳:浅子周慶 平屋台造り二天棒担ぎ

由来>延暦14年(795)当地に神石が出現したことから、素戔雄命、事代主命の2神を祀り創建したと伝える。(社伝)明治以前は「神仏習合」で素戔雄命は災厄除けの牛頭天王と同一視され、天王社、お天王様、天王祭になった。江戸でコレラが流行すると疫除守を求めて江戸市民が殺到したという。
奥州に旅立った元禄二年(1689)から130年経った文政三年(1820)十月十二日建立の松尾芭蕉の句碑行春や鳥啼魚の目はなみた」
「武州千住宿 牛頭天王 境内 行春塚」
儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を書いている。平成7年(1995年)、素盞雄神社御鎮座1200年祭に際し復刻。

社宝>•庚申塔群3基(荒川区登録文化財) •鉄製天水桶(永瀬源内富広作)(荒川区登録文化財)

地名>当地周辺の旧地名小塚原も同社の小高い塚より起立。

 
 (継続中)
日枝神社 山王祭 今年はかげまつりの年にあたり、メインの「神幸祭」や「下町連合渡御」は行われません 
場所>日枝神社
千代田区・新宿区・中央区・港区の氏子エリア72ヶ町(神輿20基) 【江戸時代は山車45本、神輿3基、160ヶ町】


由来>江戸時代、徳川幕府の総鎮守として、祭りの行列を江戸城内に入れることを許された江戸一番の規模を誇った山王祭。隔年毎の本祭は末社八坂神社の祇園祭に始まり、数々の行事を経て、2基の鳳輦と1基の宮神輿を中心にした神幸祭の大行列が見せ場。

地名>江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことがこの町名の由来。

連絡先> http://tenkamatsuri.jp/index.html
03-3581-2472

 
 9時00分~     
波除稲荷神社 つきじ獅子祭  本年の祭礼では神社の「千貫宮神輿」を担いでの渡御祭が4年ぶりに執り行われます。
例年~六月十日に大祭式を執行 十日に近い金曜~日曜に各種祭礼を執行。「陰祭り」では日曜日に神社千貫宮神輿・天井大獅子(雄獅子)・弁財天お歯黒獅子(雌獅子)のどれか一基が、三年に一度の「本祭り」では神社千貫宮神輿と雄雌どちらかの獅子二基が担がれます。また神社から大通りまで道の両脇に縁日も立ち並びます。

令和五年(2023)
日時>令和5年6月9日(金)~6月11日(日)
6月 9日(金)午後6時  宵宮祭
6月10日(土)午後3時30分 大祭式
6月11日(日)神社千貫宮神輿渡御祭 
4年ぶりの神社神輿を担いでの巡行 
午前9時 宮出し(築地全町ご巡行)
午後3時30分 宮入

連絡先 03-3541-8451
http://www.namiyoke.or.jp/

概要>この神社の例大祭に「日本一厄除天井大獅子」が出御し「つきじ獅子祭」と呼ばれている。 巨大な獅子頭を担ぎ棒で組み、神輿のように担ぐもので江戸時代、すでに著名だった。大正2年の御大祭には、各神社が神輿を宮城前に担ぎ入れる中にただ一社、大獅子を担ぎ入れ奉祝した伝統を持つ。

由来>今から330年前、埋立工事は難航を極めたが、ある夜、海面に光って漂う御神体を見つけ、社殿を造りそこに祭ったところ、波風がおさまり工事はやすやすと進んだ。人々は「波除」の尊称を奉り、今に至るも崇敬が厚い。

宮神輿>台座4尺1寸(124)昭和2年、神田・宮惣作、延軒屋根、平屋台造り、 波紋を散らした錺神輿の宮神輿に、2002年の本祭りからお歯黒獅子がお目見えして築地獅子祭りは華やか。

地名>明暦3(1657)年、有名な振袖火事で西本願寺が焼失したが、大火後の幕府の区画整理のため、旧地浅草への再建が許されず、 八丁堀の海上が替え地として下付された。そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築いたことによる。




 
 9時00分~     
鳥越まつり 
概要>6月10日(土)鳥越まつり各町御輿渡御)19時頃一部町会連合宮入
6月11日(日)千貫神輿渡御6:00~21:00(19:00頃~鳥越夜まつり) 夕刻、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に火が入ると、祭りは最高潮を迎える。この宮入道中は、「鳥越の夜祭り」と言われている。半纏ではなく、絹のお召しに角帯、麻のたすき、白足袋の正装で参加。
宮出し宮入り道中に担ぎ、拍子木役は会員のみが担当する。
宮神輿>台座四尺三寸(130㎝)制作/昭和2年、神輿師/神田・宮惣作、延軒屋根、平屋台造り、独特の飾り紐と大鳳凰 胴を唐草で覆う

由来>白雉二年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり(1046~1053年)源頼義・義家親子がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。

地名>平安時代後期頃までは白鳥村と称し、此の村の小高く見晴らしの良い白鳥山の山頂(現在地)に白鳥明神として創建された。源親子が東国に向かう途中武蔵の大川で難儀した。その時、一羽の白鳥が飛んできて浅瀬をおしえ無事に軍勢を渡河させた。それに感謝して、鳥越大明神の社号を奉じ。それ以降社地のあたりを「鳥越の里」と呼ぶようになった。(御府内備考)

社宝>古代の蕨手太刀、高坏、勾玉、菅玉、銀環など鳥越から出土品。

 

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