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2026年 6月 6日(土)
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 (継続中)
深川天神藤まつり
4月の下旬から一斉に咲き始める、藤の花。薄紫の可憐な花が幾つもの房となり、藤棚から風に揺れる様はとても美しく、“東京一の藤の名所”と呼び声高いのもうなずけます。藤棚の下には心字池が静かに広がり、水面に映る紫のコントラストも亀戸天神社ならでは。
この美しい藤の花は、江戸の名所として五代将軍綱吉公、八代吉宗公が訪れたという記録があり、また多くの浮世絵などの題材にもなっているという、由緒ある藤でもあるのです。また、亀戸駅から亀戸天神社へ徒歩で向かう途中の、下町情緒あふれるまち歩きも合わせて楽しむことができます。
詳細》http://kameidotenjin.or.jp/

 
 (継続中)
初夏の六義園~大名庭園でさつきと和のあじさいを楽しむ~ 
六義園には約200株のサツキと約15種1,000株のアジサイがあり、これから迎える見ごろにあわせて、「初夏の六義園~大名庭園でさつきと和のあじさいを楽しむ~」を開催いたします。解説パネルの展示や、「あじさい六義園」(リーフレット)の配布、「職員によるあじさい特別ガイド」などを行います。
六義園のアジサイは日本古来のアジサイ(ヤマアジサイ)を中心に、江戸時代から知られている古品種を中心に見ることが出来ます。この「和のあじさい」は西洋アジサイの手まり咲きの形とは異なり、額咲きの、繊細で優美な花が特徴的です。

【入園料 】一般 300円 65歳以上 150円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)

【詳細】
https://www.tokyo-park.or.jp/park/rikugien/news/2024/park_info_5.html



 
 (継続中)
花菖蒲まつり「花菖蒲を楽しむ」 
江戸時代初期、水戸徳川家の中屋敷(後に上屋敷)の庭として藩祖頼房公が造り、水戸黄門で名高い光圀公が完成させた小石川後楽園では、5月末から6月中旬にかけて660株のハナショウブが見ごろを迎えます。その見ごろの時期に合わせて、より近くでハナショウブをご覧いただけるように菖蒲田の脇に木道を設け、「花菖蒲を楽しむ」と題してお客様をお迎えします。東京のオアシスで、優美なハナショウブに彩られた新緑の美しい田園風景をお楽しみください。
ハナショウブを間近でご覧いただけるよう菖蒲田の脇に木道を設置します。
【入園料】 一般 300円 65歳以上 150円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)


【詳細】
https://www.tokyo-park.or.jp/announcement/030/detail/52365.html



 
 (継続中)
素盞雄神社 天王祭  
日時>6月1日(木)例大祭斎行 3日(土)本社神輿宮だし・4日(日)本社神輿宮いり  

概要>神輿の担ぎ棒は四本や六本を井桁型に組んで担ぐことが多いが、天王祭二本のみで担ぎ、神輿を左右へ倒して激しく振る「神輿振り」が特徴。
大祭では四間半(8.1m)の二天棒で担ぐ千貫宮神輿が渡御し祭神のスサノオノミコトが大蛇(おろち) から救い出し結婚したといわれる稲田姫の山車人形が飾られる。  室町時代の天文十年(1542)に荒川洪水の折、町屋村杢右衛門が御殿野(現在の町屋地区) に古き神輿を得て神輿渡御が行われた古事を今に引き継ぎ町屋の氏子衆が宮出しを行う。

宮神輿>台座幅/四尺一寸(124㎝) 制作/明治10年 神輿師/行徳:浅子周慶 平屋台造り二天棒担ぎ

由来>延暦14年(795)当地に神石が出現したことから、素戔雄命、事代主命の2神を祀り創建したと伝える。(社伝)明治以前は「神仏習合」で素戔雄命は災厄除けの牛頭天王と同一視され、天王社、お天王様、天王祭になった。江戸でコレラが流行すると疫除守を求めて江戸市民が殺到したという。
奥州に旅立った元禄二年(1689)から130年経った文政三年(1820)十月十二日建立の松尾芭蕉の句碑行春や鳥啼魚の目はなみた」
「武州千住宿 牛頭天王 境内 行春塚」
儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を書いている。平成7年(1995年)、素盞雄神社御鎮座1200年祭に際し復刻。

社宝>•庚申塔群3基(荒川区登録文化財) •鉄製天水桶(永瀬源内富広作)(荒川区登録文化財)

地名>当地周辺の旧地名小塚原も同社の小高い塚より起立。

 
             
藏前神社例大祭   本社神輿・山車引進行・縁日などの行事は中止
概要>本年は本社神輿・山車引進行・縁日などの行事は中止。
例年は、本祭りは隔年(奇数年)に行われ宮神輿が出御して氏子地域を渡御。陰祭には、日曜の午後から5町会の連合渡御があり、江戸通りを中心に各町会を巡り盛上がる。この祭りの日は、浅草橋から蔵前に至る「江戸通り」沿いの各神社(第六天榊神社・須賀神社など) で祭礼が行われ、「祭通り」と化すので有名。

由来>蔵前神社は、徳川綱吉公が元禄6年(1694)石清水八幡宮を勧請して創建。昭和22年に隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮とを合祀、蔵前神社と改称.
江戸時代には別当職の僧侶も在任し、文殊院または大護院の八幡宮とも称されたが、一般には、蔵前八幡あるいは「蔵前の八幡さま」と唱えられ、庶民の崇敬者はなはだ多く、関東地方における名社の一つに数えられた。当社の創建当時は境内地も二千二百七十余坪を有し、勧進大相撲の開催も二十二回におよび、この間大関谷風・大関雷電・関脇小野川などの名力士も当社境内を舞台に活躍し、賑わいを呈した。
古典落語「元犬」(もといぬ)や「阿武松」(おうのまつ)の舞台ともなっており、「元犬」像が落語愛好家によって奉納建立されている。

宮神輿>台座幅/二尺八寸(85㎝) 制作/昭和30年 神輿師/東向島・志布彩義/ 梅に鶯の蕨手 鳳凰が見事。見応えのある華麗な神輿。

地名>蔵前地名の由来:地名は江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことに由来。

社宝>ゆかりの品々は関東大震災、昭和20年3月10日の戦災で悉く焼失。

 
 8時30分~     
銀杏岡八幡神社例大祭  
概要>祭礼は、江戸時代八月十五日に執り行われ、明治の中頃より六月十五日にかわり現在は原則として六月第一土曜、日曜に執り行なう。隣接する浅草橋須賀神社と同日開催で午前は銀杏岡、午後は須賀渡御と取りきめ。

宮神輿>台座幅/二尺五寸(77㎝) 制作/昭和30年、神輿師/神田・宮惣 。延軒屋根・平屋台造り 屋根紋は丸に三つ銀杏、 近くの須賀神社と同寸の錺神輿で胴の極彩色の彫り物が見事。  

由来>源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平五年(1062)に当社を創建したと伝えられる(縁起)。 現在の銀杏は戦後明治神宮より移植されたものである。江戸時代に入り福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となる。 享保十年(1725)公収され町内(福井町)の産土神となった。

 
 9時00分~     
白鬚神社例大祭 本年は影祭りで本社神輿の渡御はありません 
日時>2021/6/4(金) ~ 2012/6/6(日)
 

場所>墨田区東向島3-5-2(東武伊勢崎線・東向島

氏子エリア>東向島・墨田・堤通・京島・八広・押上 

連絡先 03-3611-2750

概要
墨東地区最初の夏祭り。 白鬚神社は独特の氏子祭礼組織で北図子、中図子、南図子、東図子 、玉の井図子、辰巳図子、堤図子、巴図子、八雲図子、六一図子、番場図子、西図子の12氏子がある。

宮神輿>台座幅/四尺三寸(129㎝) 制作/嘉永元年(西暦1848年) 神輿師/行徳・後藤直光 /延軒屋根・平屋台造りの古神輿で彫金が見事 。 

地名> 向島(むこうじま)  江戸期によばれるようになった名で、浅草のほうから隅田川の向こうに広がるあたりをそうよんだことから始まる。昭和39年に向島、向島須崎町、小梅、向島請地町などを合併した。

 
 9時00分~     
浅草橋須賀神社例大祭  
日時>6月3日(土)~5日(日)6月第一日曜(隔年宮出し13時~16時)
概要>6月の第一土曜日、日曜日が例祭。隔年(偶数年)に宮神輿渡御が行われる。 隣接する銀杏岡八幡神社が同型の神輿での渡御が午前中に執り行われ 須賀神社は午後からの渡御。

宮神輿>台座幅/二尺五寸(75㎝) 制作/昭和30年、神輿師/神田・宮惣、延軒屋根、平屋台造り。鳳凰が疫病除けの笹団子をくわえる 銀杏岡八幡神社と同型。

由来>推古天皇九辛酉年(601)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始。当社所在地の蔵前は、江戸時代「札差」が軒を並べ氏子にもその札差が多かった。(札差とは、旗本や御家人の代理として禄米を受けることを業とした米商人)彼らは武士への金貸しなども行なって富を得、次第に江戸の経済を動かすほどの勢力を持つようになり江戸時代には 祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、 経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大に行た。


 


 
 9時00分~     
今戸神社大祭 
氏子>今戸一丁目町会、今戸二丁目町会、今三町会、東一会、日本堤本町会の5ヶ町。

概要>毎年6月の第1土日祭り。 3年に1度大祭、土曜日は大祭式が挙行、日曜日に神社神輿が9時20分に宮出。
宮出し道中」のあと、東一会、日本堤本町会、今戸一、二丁目会、今三町会など氏子5ヶ町を渡御巡幸して
神社に戻るのは午後6時過ぎ。祭りは午後5時半過ぎから6時過ぎまでの宮入道中で最高潮に達し道の両側は大勢の観客で埋まる。

宮神輿>戦災で焼失した旧神輿を模し平成3年に新調。台座幅/三尺五寸(106㎝) 制作/平成3年 神輿師/浅草・宮本重義/ 吹き返しを大きく立ち上げた延軒屋根・平屋台造りでいなせなデザイン。

社宝>境内にある一対の狛犬。文政五年(1822)に今戸焼職人により奉納、最も詳細に江戸時代の今戸焼職人の名前や所属が判明する貴重な資料。

地名 今戸の地名は古くは「今之津」(今津)から「今都」、さらに「今戸」と改称。
江戸の頃、この界隈は今戸焼と称する土器を焼く職人がいて瓦・人形・火鉢・土風呂を産していた。

 
 9時00分~     
第六天榊神社例大祭 
日時>6月3日(土)~4日(日)六月の第一土曜日・日曜日 隔年本祭(西暦偶数年)宮出/7:30~宮入/19:00

氏子>柳浅・代地・茅二・宮元・蔵前中央・元蔵三・精華・寿三の八ヶ町。

概要>6月の第一土曜美、日曜日が例祭。隔年(偶数年)に宮神輿渡御が行われる。本社神輿渡御の受け持ち時間の合間に氏子区域内で町会神輿を担ぐ。

宮神輿>台座幅/四尺二寸(127㎝) 制作/昭和初期、神輿師/神田元岩井町・柏原甚吉。黒漆塗り七曜星の紋の延軒屋根、平屋台造り。

由来>日本武尊が、景行天皇四十年庚戌歳(110)に創建したとされる。第六天神社と称し、森田町(現蔵前3丁目)に鎮座していたが、享保4年(1719)浅草御門外、松平市正殿上屋敷跡地(柳橋1丁目)へ遷座。 明治維新の廃仏毀釈により社号を榊神社へ改称、昭和3年、浅草文庫の跡地であった当地へ移転した。


 
 10時00分~14時00分
江戸消防記念会 木遣り唄奉納  
江戸時代、町火消しという日本初期の自治的消防機関が生まれたがこれは鳶火消しと言われ鳶による消防の起源となった。木遣りはこの鳶の間で広く歌われるようになり、江戸木遣りとして定着し明治以降は江戸消防組に受け継がれ現在では江戸消防記念会の人々によって伝承されてる。

詳細
http://www.edosyoubou.jp/report.html

 
 10時00分~15時00分
木遣り唄奉納 
江戸時代、町火消しという日本初期の自治的消防機関が生まれたがこれは鳶火消しと言われ鳶による消防の起源となった。木遣りはこの鳶の間で広く歌われるようになり、江戸木遣りとして定着し明治以降は江戸消防組に受け継がれ現在では江戸消防記念会の人々によって伝承されている。

*詳細~http://www.edosyoubou.jp/main/osirase/2010/index100606.html


 

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