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2013年 1月 5日(土)
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東京スカイツリー ウィンターフェスティバル ライトアート・エンターテイメント2012
最大のイルミネーションは、東京スカイツリー。「Tokyo Skytree(R) Dream Christmas 世界一のクリスマスツリーからのおくりもの」をテーマに、タワーを世界一高いクリスマスツリーに見立てた限定ライティングを実施。さらに、クリスマスまでの期間中、週末を中心に様々な限定ライティングを実施する予定。
また、とうきょうスカイツリー駅、押上駅からそれぞれ東京スカイツリーへとつながる坂道「ハナミ坂」、
「ソラミ坂」は、LED装飾照明により彩られる「光階段」となります。
さらに、クリスマスを控えた11月15日(木)〜12月25日(火)には、クリスマスパフォーマンスやコンサートなど、様々なイベントを開催するほか、東京ソラマチ(R)の各店では、クリスマスにちなんだ商品やグルメの販売を予定。

 
 (継続中)
特集展示「すみだの名所展」
すみだ郷土文化資料館では、特集展示「すみだの名所展」を開催します。現在の墨田区域の隅田川沿岸の景色は、江戸から明治にかけて大変庶民に親しまれ、様々な浮世絵師たちによって四季の風景が描かれました。今回の特集展示では、隅田川周辺の雪景色を描いた錦絵を中心に展示します。地球温暖化が進み、雪景色は現在ではあまり見ることができなくなりましたが、雪見の名所として人気を集めた隅田川の姿を資料からお楽しみください
 
 (継続中)
企画展: 浮世絵の中の忠臣蔵-江戸っ子が憧れたヒーロー
1701年(元禄14)3月、播磨・赤穂藩主の浅野内匠頭長矩は江戸城内で、高家の吉良上野介義央に切りかかり、即日、切腹を命じられて赤穂藩は改易となりました。翌年12月に浅野家の旧家臣らが吉良邸(現、墨田区両国)に討ち入りました。「赤穂事件」と呼ばれるこの事件は脚色され、「忠臣蔵」の物語として、江戸時代から現代まで人形浄瑠璃、歌舞伎、映画やテレビドラマなどで人々から深く愛されてきました。
  本展では、「忠臣蔵」の登場人物を描いた歌川国芳の武者絵を「誠忠義士伝」を中心に取り上げます。ヒーローものとして江戸の人々に流行した「忠臣蔵」の一面をお楽しみください。


 
 (継続中)
特集展示(隅田川の情景-橋と渡し-)開催
東京スカイツリーの開業を記念して、すみだ郷土文化資料館では「隅田川の情景」と題し、春夏秋冬に応じ「桜」「花火」「絵巻」「橋と渡し」のテーマで年間 特集展示を開催。最後となる4回目は、「橋と渡し」をテーマとして開催。江戸時代、隅田川下流には両国橋など5つの橋が架けられていた。技術的な限界から流出も多く、その維持・管理には江戸幕府も頭を悩ませた。また、橋を架けるほど交通量がない場所には「渡し」が設置さ れ、両国橋や橋場の渡しなどは著名な名所として、江戸への荷物を運ぶ帆船や夕涼みをする屋形船などとともに、浮世絵に描かれる題材の一つ。今回の展示は、同館がこれまで収集・保管してきた浮世絵史料等を特別公開するとともに、古文書史料も交えながら江戸時代の橋と渡しの実像に迫まる。
 
 (継続中)
「近現代の作家と文化人〜詩歌の世界〜」企画展
夏目漱石・尾崎紅葉・芥川龍之介・谷崎潤一郎など、明治時代から昭和時代に活躍した作家や文学者たち。彼らの思いを小説ではなく、短く表現された俳句と短歌で紹介。また、かつて深川にあった興行場「深川座」の「明治三十七年十月十四日」の歌舞伎番付や、当時の八代目市川中車や初代中村吉右衛門ら歌舞伎俳優の俳句も展示。近代から昭和、戦後の文化人たちの個性を感じ取ることができる展示。
 
 (継続中)
江戸庶民の年中行事再現「正月飾り」
常設展示室の深川の町に当時のお正月飾りを再現。
大店の店頭には、一対の松飾り。長屋入口には軒飾りを張り、若水を汲む井戸にはしめ飾り。船宿には鏡餅、水上の猪牙船には輪飾りが整い、新年の清々しい空気がみなぎる。また、当時の文献などから、お正月の歴史や民俗も紹介。

 
 (継続中)
上野東照宮 冬ぼたん
上野公園内 上野東照宮にて冬ぼたんが開催。
着花率二割のめずらしい寒牡丹や蠟梅、満作、早咲きの梅など40品種600株の冬牡丹を見ることができます。

 
 (継続中)
博物館に初もうで−巳・蛇・ヘビ
2013年の干支にちなみ、ヘビに関連した絵画、彫刻、工芸品などを一堂に集めて紹介。


 
 (継続中)
春の七草展示
地植えの春の七草やジャンボ七草籠、献上七草籠を展示。
向島百花園について
名勝及び史跡。江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜1830年)に、骨董商佐原鞠塢(さはらきくう)が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした民営花園として開園。開園当初は360本のウメが主体で、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどでした。
その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。百花園の名称は「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。

 

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