【寛永通宝】 1636年(寛永13)6月1日鋳造、1953年(昭和28)12月まで通用した長寿貨幣。

投稿日時 2024-6-5 14:57:56 | トピック: トピックニュース

6月1日寛永13年 (1636)芝・浅草と近江坂本に銭座を置き、初めて【寛永通宝】を鋳造。
幕末までに造られた銅銭はすべて「寛永通宝(かんえいつうほう)」の文字が打ち出され「寛永通宝」と呼ばれた。

貨幣価値は、裏面に波形が刻まれているものが4文、刻まれていないものが1文として通用。
当時96文を銭通しに通してまとめると100文として通用(短陌・省陌)し、通し100文と呼ばた。

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寛永通寳:寛永13年(1636)称浅草銭 御蔵銭 (Wikimediaより」

1枚の重量は1匁(3.75グラム)、銭径は8分(2.4センチ)が標準であったが、
後には軽量、縮型のものや、鉄銭も鋳造された。

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>江戸ことば月ごよみ 『藤の花と銭の花』
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・「日本銀行貨幣博物館」 『17世紀金・銀・銅の貨幣の統一』
 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/#HistoryEarlyModern



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