二月初めの午の日を江戸中至る所で初午祭りを行っていた。
「伊勢屋稲荷に犬の糞」 と言われるほど稲荷神社(町内毎の祠も含む)が多かった江戸、
町中至る所で初午祭りを行っていた。
子供達は太鼓を叩きなが各家を廻と、都度お菓子がもらえたから、太鼓は必需品であった。それ用の太鼓を、早ければ小正月の終わった翌日から。 遅くも二十五日頃までには、天秤棒を担いだ振り売り(棒手振り)が、太鼓を賑やかに叩きながら競争で売り歩いていた。
太鼓売りが来るのは、遅くも初午の前日まで。当日になると早暁から油揚売りが売り歩きました。
こんち(今日=今日と狐の鳴き声コンを掛けた売り声)イ
うまアの日イ
あぶらげ(油揚)エ
狐の好物とされるあぶらげをお供え用に、又後でお下がりを皆でいただくために、いなり寿司 (三角稲荷は 狐の耳、俵型は米俵)にして供えるために買い求めた。 初午が終わる (参考・今年の初午は二月六日)と、桃の節句の準備に切り替えた。
一方大人にとっても初午は楽しみであった。その第一は、普段堅く門を閉じている大名屋敷が一斉に門を開けを 開放したからである。中には邸内に櫓を組み賑やかに踊るものもあった。
関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
タイトル>120回 歴博フォーラム「超高齢社会における葬墓制の再構築をめざして」
日時>2024年12月21日(土) 10時00分〜17時00分
会場> 一橋大学 一橋講堂
住所 東京都千代田区一ツ橋2丁目1−2
問い合わせ> 国立歴史民俗博物館 広報課 広報・普及係 TEL: 043-486-0123(代)
Email: reservation@rekihaku.ac.jp
講師>
山田 慎也(国立歴史民俗博物館・副館長)
玉川 貴子(名古屋学院大学・現代社会学部・准教授)
朽木 量(千葉商科大学・政策情報学部・教授)
小谷 みどり(シニア生活文化研究所・代表理事)
瓜生 大輔(芝浦工業大学・デザイン工学部・助教)
金 セッピョル(総合地球環境学研究所・客員助教)
大場 あや(日本学術振興会・特別研究員(PD))
問芝 志保(東北大学大学院・文学研究科・准教授)
田中 大介(自治医科大学・医学部・教授)
土居 浩(ものつくり大学・教養教育センター・教授)
開催趣旨>
個人化が進み、超高齢多死社会へ突入した現代日本において、近親者ではなく、地方自治体が火葬など死後の対応をする死者が急速に増加している。だが、その具体的対応の実態は明らかではなかったため、全国の市区町村を対象とした初のアンケート調査を実施した。その結果、自治体ごとに儀礼や遺骨の取り扱いなどかなり差異があることが判明した。
そこで、このフォーラムでは、まず、戦後高度経済成長期以降、告別式中心の葬儀様式と家族墓が全国的に普及していった過程を確認する。その上で、その形態が維持できなくなり、死者への対応のあり方が多様化する1990年代以降の動向について検討するとともに、地方自治体による死者への対応について考察する。そして、今後どのように死を迎え、葬儀を含め、死後の対処がなされていくのか、将来に向き合う課題についても考えていきたい。
参加費> 無料
定員> 事前先着順受付定員450名。先着順受付となります。
申込み> 申込期間 2024年11月21日(木)〜2024年12月15日(日)
オンライン、または往復ハガキでお申し込みください。電話による申込は受け付けておりません。
公式サイト>https://www.rekihaku.ac.jp/event/2024_forum_120.html
どうして日本の東西で農耕馬と農耕牛と、飼う動物が異なっていたかというと、農地と気候の問題があったからである。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
コラム詳細はこちら>
・江戸ことば 月ごよみ 『江戸の馬いろいろ』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=9
1783年(天明3) は、6月にアイスランドのラキ山が、8月に浅間山が噴火。
火山灰は、北半球を覆って太陽光を遮り、異常気象を引き起こします。
これが凶作を招きフランスでは6年後に革命が起こるのですが、
日本はどうだったのでしょうか?
関連コラムはこちら>
・武蔵の国 江戸物語 No45『浅間山噴火により、 関東郡代が潰れる』
>http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo45.pdf
画像はこちら>
・浅間山の天明大噴火を描いた「浅間山夜分大焼之図」
>http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=781&cid=50
川幅を3間切り広げて、両岸に築堤樹木が命じられる.
完成後は、町年寄が管理する。
関連情報はこちら>
水から読み解く江戸東京「玉川上水物語」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd10/index.php?id=5
水戸光圀が命名したと伝えられ、梅の名所として江戸市中に知られ、数々の浮世絵、書物でも紹介されています。
『本所亀戸天満宮より三丁ほど東方にある、清香庵(せいきょうあん)喜右衛門の庭中に、臥龍梅と唱える名木がある。実に龍が横たわっている如くした形で、枝は垂れて地中に入ってまた地を離れ、いずれを幹とも枝とも定めがたいものである。匂いは蘭麝(らんじゃ)に負けずと張り合うほどで、花は薄紅色である。園中には梅の木が多いと言えども、この臥竜梅は殊に勝れた樹木である。四月の頃に至れば、実梅(みうめ)と号(な)づけて、人々はその詠めながめを楽しむ。』
「江戸名所花暦」(訳文は棚橋正博著 江戸の道楽から引用)
関連コラムはこちら>
・江戸ことば月ごよみ二月 「初卯と梅見」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
>歌川広重画 「名所江戸百景 梅屋敷」 (国立国会図書館所蔵)
http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=761&cid=50
江戸時代最初の打ちこわし。米不足と米価高騰が原因で庶民による米商人(高間伝兵衛)の家屋や米俵を破壊する暴動
関連コラムはこちら> コラム 江戸十万日 月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/07/
お正月を迎えるとすがすがしい気持ちになるのは江戸の昔も今も変わりません。しかし、比べてみると変わったことも多いようです。江戸時代には現代のような曜日や休日感覚はなく、正月と盆に加え五節句や寺社の縁日を中心に、仕事を休んでいただけです。また正月2日は、新年の顔合わせ的な要素も強く、仕事は午前で 終え、午後からは祝い膳を囲むことが多かったようです。 改めて江戸の正月風景を見てみましょう-----
詳細はこちら>
江戸から今に伝わる伝統芸能「江戸の正月風景」
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江戸時代には、餅を搗く「賃餅屋(ちんもちや)」という商売があった。お客さんの自宅を回って搗く形もあったし、搗いた餅を届ける店もあった。そして、餅の値段は目方(重さ)によって付けられていた。図版は、賃餅屋の店の様子。左では、蒸籠(せいろ)で米を蒸しており、店先にはいろいろな形の餅が並べられている----
井原西鶴(さいかく)の『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(元禄元年〈1688〉刊。巻2ノ1)には、この賃餅にまつわる吝嗇(りんしょく)な男の話が書かれている。
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江戸ことば月ごよみ1月 正月の餅 「賃餅屋(ちんもちや)」
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江戸の流行語大賞といえば、さしずめ「日本(ニッポン)だ」だろう。これは、安永・天明頃(1772〜89)に流行(はや)った言葉である。田沼意次(たぬまおきつぐ)が推進した殖産政策によって、世は挙げて消費文化に明け暮れるようになっていく頃である。現代で言えば、「日本だ」は「ステキだ」とか「素晴らしい」といった意味で、通人(つうじん)たちが流行(はや)らせ、江戸中に広がった-----
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江戸ことば月ごよみ一月 「江戸の流行語大賞」
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