上野、下谷、本郷付近に火災が起こり、焼失1200戸に及ぶ。
彰義隊に同情した江戸っ子の町火消は、彰義隊の側について上野に籠もり、寛永寺や輪王寺宮を守ったという。
とくに新門辰五郎を頭とする10番の「を」組は、上野に籠もって纏を立て、寛永寺に謹慎中の慶喜を警護した。
辰五郎自身は、上野の戦いの前に慶喜公に同行して江戸を離れたが、「を」組の子分たちは、彰義隊と共に上野に籠もった
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・江戸十万日「月日の鼠」
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幕府は、性描写に関する出版物の製作刊行については、幕末まで大らかに黙認していたのである。出版取締令によって取り締まられた「好色本」とは、色街などを舞台に社会風俗を乱すような淫(みだ)らな小説の謂(いい)であった。
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・江戸言葉 月ごよみ 「春画と春本」
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・お江戸の探訪・探索には「貨幣」はつきものですが、お金の理解はなかなか面倒です。江戸時代には、金貨、銀貨、銭貨の3種類の貨幣が使われて(三貨制度)いたり、さらに江戸時代における貨幣の価値が現在いくらに当たるか?という疑問・悩みが出てきます。
『日本銀行貨幣博物館』は、「三貨制度」をビジュアル化をして解りやすく工夫をしたり、昔のお金の現在価値を目安として知る仕掛けもあります。
是非、訪れてください。
「日本銀行貨幣博物館」はこちら>
https://www.imes.boj.or.jp/cm/
日本人は舶来ものが大好きである。江戸時代には、ラクダ、ゾウ、ロバ、ヒョウなど、異国の動物が次々と日本にやってきている。そして珍獣の見世物として庶民に親しまれていた。
文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の「らくだ」が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。
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・江戸言葉 月ごよみ「らくだの見世物と落語」
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振売商いを制限する町触で、これまで商っていた振売に鑑札を与え、税を取ることを命じる。
絹紬・木綿布・小間物・麻・蚊屋(かや)・帋帳(しちょう)の商いの鑑札を与へ無鑑札者には罰金を命じた。
さらに、50歳以上か15歳以下・障害者しか商いができない15品目を設け社会的弱者救済措置をした。
15品目>肴売・菜ざらし売・たばこ売・時々のなり物菓子売・塩売・あめおこし売・下駄あしだ
味噌売・酢醬油売・豆ふ蒟蒻売・ところてん売・もち売・籠ざる売・とうしん売・附木売
その規制は、その後行われなくなり、振売の商人は増加していった。
参考資料
『東京市史稿』
『近世商人法制の研究』 (隈崎渡著 芦書房)
*【振売(ふりうり)】は籠(かご)に商品を入れ、道を売り歩く物売りで
棒手振(ぼてふり)ともいい、当時の江戸の生活に欠かせない存在。
関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/e/
・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
外国貨幣に対処すべく1854年から鋳造された金銀。 特に安政二朱銀の目方は洋銀1個の目方の半分にあたる3匁6分であったため、外国から抗議をうけ、洋銀との交換に失敗、かえって金貨の濫出を招いた。そこで1860年、新たに万延金が鋳造され、金の流出を阻止するが、国内の物価が高騰した。なお、新小判・ 新一分判の品位は77匁5分(56.77%)、 新二分判・二朱金は200匁 (22%)だった。
金貨流出の対応策として発行された万延二分金は、幕府財政の補填のため大量に発行され、国内で急激なインフレをもたらした。
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・「日本銀行貨幣博物館」 不平等条約の締結と貨幣
https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/#HistoryEarlyModern
元々鞍馬山の坊主が、 所願のことがあって江戸へ来たが何も叶わないうちに資金が尽いた。それで生活のため、習い覚えたお経等をしながら市中を巡り銭や米の喜捨を受けたのが始まりという。但し『嬉遊笑覧』は「そんなの嘘だ」と一蹴し乞食へ分類している。橋本町 (秋葉原近辺)や下谷山崎町(東上野近辺)を居住地として、当初は代願人として、水垢離などを代理でしていたといわれるが、次々と色々な手を考えだしていた。すたすた坊主や金比羅行人、半田稲荷、考え物、御日和御祈願(おひよりごきがん)等がある。
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・江戸の四季を彩る「物売り」
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・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」
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【玉川上水】 4月-この月 承応3年(1654)
玉川上水が虎の門まで到着し、6月に完成する。同時に野火止分水もできる。
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「暦から読み解く江戸東京」 玉川上水年表
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花見の落語といえば、「花見酒」や「長屋の花見」、「花見の仇討(あだうち)」が頭に浮かぶ人もあろう。番頭さんが花見で、はめを外して旦那にばったり出会う「百年目」や、頭に桜の木が生えてくるナンセンス噺(ばなし)の「あたま山」を思い浮かべた人は、相当な落語通である・・・・・
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・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済
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関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。このため、水を江戸城に引くため神田上水が築造され、 近郊生産地確保のため 亀有にため池が造られ塩を運ぶために小名木川が開削されます。
さらに家康は、江戸を人流・物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点とするとともに、 江戸湊を造成します。
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・武蔵國・江戸物語『戦いに備えた江戸の最初のインフラ』
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