母の影響力が絶大の綱吉
将軍の中でも五代綱吉 (1646〜1709)は、館林藩主時代は鷹狩りに出かけたことはあるが就任以降、生類保護の政策を打ち出してからは殺生を伴う鷹狩を一度たりとも挙行していない。
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神田川界隈物語
「鷹狩をしなかった」 将軍綱吉の「犬屋敷」建設とは
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「菜の花と吉原」 落語「唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)」にも菜の花の句が出てくるが----------
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陸軍衛生部軍医制度に生涯を捧げた医師、石黒忠悳
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「江戸十万日 月日の鼠」
第二十一回 「試験を行って人を採用し、毫(いち)も藩閥によらぬこと」
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舞台に活動の主戦場を移した彼は、政治や社会問題を題材にしたスタンダップコミックで人気を博す。
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コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
「テレビで会えない芸人」
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すすきの穂を束ねて作ったみみずくの人形は
鬼子母神境内で土産物として飛ぶように売れた縁起を紹介。
神田川界隈物語 一月版
名物土産として 今も残る「すすきみみずく」の底力
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元禄15年(1702)赤穂浪士が本所松坂町の吉良邸を襲撃して義央を討ち取る。
元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
指南役の高家(こうけ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた。
その後、浅野内匠頭は即日切腹、御家は断絶。元禄15年(1702)12月14日、
浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む赤穂浪士(四十七士)は
吉良を討取り、主君の無念を晴らす。天下泰平の世の中を騒がせた一連の事件は、赤穂事件と呼ばれた。
関連コラム
大掃除と忠臣蔵
江戸言葉 月ごよみ>十二月 「大掃除と忠臣蔵」
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酉の市は、11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼で、江戸時代に盛んになり、年末の商家では酉の市で熊手(くまで)を買い替えて、歳(とし)の市で迎春の縁起物を買い揃えた。その由来を紹介。
*詳細は>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と熊手 」
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噺家の卓越した表現力が、スクリーンでは演技過剰に映り、視る者に不自然な印象をもたらさないだろうか。
噺家は普段高座で、湯飲みや箸など、そこにないものを、あたかも存在するかのように見せる。ところが映画では小道具がすべてそろっている。日頃の習慣で、つい高座と同じように表現してしまわないだろうか。
*詳細>コラム 寄席à la carte(アラカルト)「第七回 映画「浜の朝日の嘘つきどもと」の柳家喬太郎
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桜の名所は楓(かえで)の名所が多い。
江戸と近郊の紅楓(もみじ)の名所めぐりをしてみませんか。
*詳細は>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「江戸の紅葉めぐり」
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千年以上の歴史と文化を持つ「雑司が谷」地域が日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」に登録(平成26年(2014)12月。100年後の子どもたちに長い歴史と伝統のもとで豊かに培われてきた地域の文化・自然遺産を伝えるため、「雑司が谷未来遺産」としての活動を続けている。
*詳細は>神田川界隈物語 鬼子母神大門欅並木「半世紀前の姿 地元愛による復活まで」
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