「芝浜」の単なるオマージュや、パロディではない。むしろ「芝浜」を現代風にアレンジしたのが「芝カマ」である。
それは名演奏者が古典的な名曲を大胆にアレンジ(編曲)して、原曲にはなかった新しい価値を生み出すのに似ている
*「寄席à la carte(アラカルト)」「柳家喬太郎の『芝カマ』で考えたこと」
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江戸の戯作者(げさくしゃ)十返舎一九(じっぺんしゃいっく) のベストセラー『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』に登場する主人公、弥次郎兵衛(やじろべえ)・北八のこと。「弥次さん・北さん」という言葉は、この作品が生まれてから200年も生きている。
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「弥次さん北さん 」
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川柳ご愛好家の皆様へ !『誹風柳多留』の篇数刊行年を中心に纏めました。
*詳細>http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/nenpyo20210801.pdf
井戸から汲んだ冷や水に砂糖を入れて甘くして売っていた水売り商売。
砂糖増しを注文すると、特別に椀が陶器でなく金属製(錫茶碗)でサービス。
古川柳にみる水売(冷や水売)
「水売りの 一つか二つ 錫茶碗」 (『誹風柳多留』3編)
「そこが江戸水一ぱいを波でのみ (『誹風柳多留』70編)
*波=四文銭。通称波銭で明和5年の新鋳)
「としよりの冷や水うりハはやらない」 (『誹風柳多留』30編)
「月かげや夜も水売る日本橋」 一茶
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「年寄の冷や水」
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江戸時代、米の価格が高騰(こうとう) するなどの原因で生活が困窮、 町人が大商人や米屋などを襲う 「打ちこわし」が発生。
打ちこわしの直接の目的は米の強奪でなく, 買い占め米を商売で使用不可能にし、買い占めをおこなった店に対して制裁を加えることにあった。
天明2年の大飢饉、天明3年の浅間山大噴火、天明6年の関東地方大雨大洪水などで米価が高騰、天明7年5月20日に起きた打毀は、全国的に広がった。
*詳細>「江戸十万日 月日の鼠」 第十六回 「支配層の心は、神や宗教から離れ、現世にのみ向かった」
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竹本焼は、明治初年から大正期にかけ旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器です。窯と工場は神田川に近い竹本家の屋敷「含翠園」にありました。やきものに必要な水は敷地から湧き出る豊富な清水を利用し、土は瀬戸などから取り寄せたほか、地元雑司が谷や落合の粘土も使用していました。竹本焼はまさしく豊島区の水と土から生まれたやきものです。
*詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜豊島区の「水」と「土」から生まれた竹本焼
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犬と江戸時代といえば、即座に「犬公方(いぬくぼう)」こと五代将軍徳川綱吉(つなよし)を想起する人が多かろう。悪名高い「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を思い浮かべるからで、「生類憐みの令」は貞享2年(1685)からはじまるとされ、将軍が通るときに犬・猫がいても構わないという町触(まちぶ)れを発端に、やがて牛・馬にまで拡大し、次第に犬の保護に力を入れるようになった。
武蔵国(むさしのくに)中野村(現在の東京都中野区)に約30万坪の保護区をつくり、江戸市中の野良犬10万匹を保護するにいたり、綱吉の生母桂昌院(けいしょういん)が戌年生まれだから犬を保護するのだとの孝行談もうまれて、「生類憐みの令」が江戸市民の怨嗟(えんさ)の的(まと)となる。
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 江戸の「狆」ブーム
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江戸古川柳から物売り(振り売り)を紹介
「金魚売り是か是かと追つかける金魚売り」 (『誹風柳多留』9編)
「一声も三声(みこえ)も呼(よば)ぬ玉子売」 (『誹風柳多留』60編)
「納豆としじみに朝寝おこされる」 (『誹風柳多留』80編)
「坂でころんで目覚しい西瓜売」
売り声は「すいかん 々」「すいかんやー、すいかん」(『誹風柳多留』169編)
「あじすふこはだのすふとにぎやかさ」
〈鮨売り〉 売り声は「あじのすう、こはだすう」 (『誹風柳多留』8編)
「飛魚は羽根の有りたけ先へ来る」 *鰹よりも (『誹風柳多留』52編)
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「江戸の売り声」
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寄席に行くなら余一会(よいちかい)をチェック!
1年中落語がある寄席は、東京では新宿末廣亭、上野鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホールの4か所。
これらの寄席は、1ヶ月を3分し。1日から10日が上席(かみせき)、11日から20日が中席(なかせき)、21日から30日が下席(しもせき)と呼ばれる。
31日のある月はその日だけ特別興行をおこない、これが余一会(よいちかい)という。独演会や二人会など多いが、時々、普段見られないような特別企画に出合うこともある。
*詳細>コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
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もともと宮中の女御(にょうご)の年中行事だった七夕は、江戸時代、幕府の大奥や大名などの奥向きで流行し、それがしだいに民間に広まっていったといわれる。
江戸市中では、七夕が近くなると、笹竹(ささたけ)売りや短冊(たんざく)売りが町中を売り歩き、夏の風物詩となっていた。
寺子屋では、寺子たちが書道上達の願いを短冊に書いて笹竹に結わえたものだった。
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「七夕」
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