投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-4-1 4:02:02 (373 ヒット)

疱瘡は不治の病として人々に恐れられて疱瘡除けで「赤色」が流行
詳細はこちら>
神田川界隈物語
いつの世も変わらぬ子をおもう親心 疱瘡除けの「赤色」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-4-1 3:59:47 (416 ヒット)

舞台に活動の主戦場を移した彼は、政治や社会問題を題材にしたスタンダップコミックで人気を博す。
詳しくは> 
コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
「テレビで会えない芸人」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-3-2 3:18:00 (434 ヒット)

雛祭り、江戸の花見、春の夜の夢と千両、遊女のアリンス言葉等
江戸言葉 三月ごよみ 
詳細はこちら>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-3-2 3:13:00 (408 ヒット)

陸軍衛生部軍医制度に生涯を捧げた医師、石黒忠悳

詳細はこちら>「江戸十万日 月日の鼠」
第二十回「一科の学問で結果を挙げるに力(つと)めることが真の攘夷の方法である」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-3-2 3:09:00 (503 ヒット)

江戸時代、種々独特な異装の飴売りが続出。「三官飴売」「千年飴売」「お駒が飴売」
「安南こんなん唐人飴売」「狐飴売」「お万が飴」「おたさん飴売」等々人気を呼ぶ。

関連情報はこちら>神田川界隈物語
鬼子母神参詣土産としてのブランド  「川口屋の飴」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-1-30 17:42:26 (373 ヒット)

二 月【江戸ことば月ごよみ二月版】
・初午は乗ってくる仕合せ、
・ 二八(にっぱち)と品川遊郭、
・「べらぼうめ」と「べらんめえ」、
   ・節分と豆男、
   ・出替りと契約社員

詳細はこちら>http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-29 20:12:39 (553 ヒット)

「吉原の正月」、「湯屋の正月」、「江戸の大雪」、「七福神詣」、「正月の餅」等をテーマにその縁起と人々の生活をとおして江戸言葉を紹介。
江戸ことば月ごよみ一月版

詳細はこちら>http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-29 20:11:41 (535 ヒット)

すすきの穂を束ねて作ったみみずくの人形は
鬼子母神境内で土産物として飛ぶように売れた縁起を紹介。
神田川界隈物語 一月版
名物土産として 今も残る「すすきみみずく」の底力

詳細はこちら>http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-8 20:45:04 (470 ヒット)

ドイツの医師クルムスの解剖書「AnatomischeTabel-in」のオランダ語訳を日本語訳した、日本最初の西洋解剖学の本格的な翻訳書。安永3年(1774)発行。
翻訳作業は困難を極め、完成までに約4年の歳月を要した。
翻訳の中心になったのは小浜藩医杉田玄白、中津藩医前野良沢で、原書にある精緻な銅版解剖図は、秋田藩士の小田野直武が木版画に直した。
本書はこれまで漢方医学で知られていなかった膵臓、リンパ管を指摘するなど大きな成果を生み出した。杉田玄白は晩年に、『解体新書』翻訳のときの様子を『蘭学事始』に記している。翻訳の際に「神経」「軟骨」「動脈」などの語が作られ、それは今日でも使われている。

関連コラム
▶江戸十万日「月日の鼠」>. 
「原理を学び習得してから、治療の方法を理解する」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-8 1:07:40 (440 ヒット)

元禄15年(1702)赤穂浪士が本所松坂町の吉良邸を襲撃して義央を討ち取る。

元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
指南役の高家(こうけ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた。
その後、浅野内匠頭は即日切腹、御家は断絶。元禄15年(1702)12月14日、
浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む赤穂浪士(四十七士)は
吉良を討取り、主君の無念を晴らす。天下泰平の世の中を騒がせた一連の事件は、赤穂事件と呼ばれた。

関連コラム
大掃除と忠臣蔵
江戸言葉 月ごよみ>十二月 「大掃除と忠臣蔵」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


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