投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-3-1 23:18:33 (276 ヒット)

例年、春分の日あたりが大潮(おおしお)となり、干満の差が一番大きくなる。今年の春分の日は3月21日、それから4月にかけての干潮時が、潮干狩(しおひが)りに絶好のシーズンとなる。

詳細はこちら>
・江戸ことば月ごよみ三月 「江戸の花見」
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=3


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-3-1 23:17:30 (247 ヒット)

芭蕉が眺めた桜は、ソメイヨシノではなく山桜の一種だった。ソメイヨシノは明治になってから新種の桜で花が咲いてから葉がつくが、山桜などは花と葉が同時にでてくる。私たちがイメージするこんにち花見の桜の風景とはだいぶ異った趣であった・・・・・
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・江戸ことば月ごよみ三月 「江戸の花見」
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=3


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-3-1 23:16:01 (172 ヒット)

関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、
戦 いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。
家康は、江戸を人流物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点
とするとともに、 江戸湊を造成し・・・・・
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・「武蔵國・江戸物語」戦いに備えた江戸の最初のインフラ
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-3-1 23:14:29 (194 ヒット)

花鋏をちょんちょん鳴らしながら「花イ花イ」と声を上げつつ来る花売りは
雛祭りが近いことを知らせる春の風物である。桃や桜の花は欠かせない花として、
節句前には大変な忙しさとなる。
詳細はこちら>
・江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句」〜
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-3-1 23:12:57 (235 ヒット)

2003年に都道環状第5の1号線の工事の時に発見された「南池袋遺跡」は江戸時代を中心とする遺跡である。江戸時代この地域は雑司ヶ谷村の一部であり、江戸時代の村絵図と見比べても江戸時代の主な道路や神社は現在も残っており、当時の様子を想像する事ができる・・・・・
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・神田川界隈物語 「大正時代の遺構発見!」
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-2-1 0:47:37 (251 ヒット)

子供達は太鼓を叩きなが各家を廻り、都度お菓子がもらえたから、太鼓は必需品であった。それ用の太鼓を、早ければ小正月の終わった翌日から遅くも二十五日頃までには、天秤棒を担いだ振り売り(棒手振り)が、太鼓を賑やかに叩きながら競争で売り歩いていた。

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「江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句」〜」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-2-1 0:46:10 (241 ヒット)

事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々とし、作家を志した林芙美子。 昭和5(1930) 年、市井に生きる若い女性の生活を綴った「放浪記」を出版し、 発売数カ月で60万部以上も売れたという。時代は第一次世界大戦後の不安定な社会の中、逞しく生きる女性の姿を赤裸々に描いた作品は多くの読者を魅了し、一躍流行作家となり、その鮮烈な筆致は多くの人々に愛された女性である。

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神田川界隈物語 2月号 「林芙美子 東京生活の第一歩だった雑司が谷」   
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投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-2-1 0:45:02 (219 ヒット)

餅網は、餅を焼く網ではありません。富士山の氷溶(こおりとかし:6月1日の山開き、現在は7月1日)まで餅を保存しておくための網。
餅は短冊(が多い)に切り、乾燥させたもの(欠き餅)を餅網にいれ、
風通しのいいところへ掛け富士山山開きの日まで置き、
山開きの日に下ろして火にあぶって食べました。
加賀藩が献上した氷を幕府が食べる6月1日に合わせ、
氷に見立てて氷餅(こおりもち)と呼びました。

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「江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句」〜」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-2-1 0:43:40 (208 ヒット)

神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、
神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られ
当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けた。
主祭神は大己貴命少彦名命平将門命。

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水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」
No10.武士の先駆けだった平将門 (たいらのまさかど)
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投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-2-1 0:42:06 (228 ヒット)

江戸時代の実際の洗濯では、洗濯盥のなかに灰を主成分にした洗剤を入れていた。当時は、灰はいろいろな方面で利用されていて、庶民生活の洗剤として欠かせず、染物屋では紺色(こんいろ)などの色をあざやかに出せるように灰が利用されていた。「命の洗濯」という言葉は、江戸のことわざ辞典類にも早くから見え、古くからいっぱんに言われていたものであった。

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江戸ことば月ごよみ2月「命の洗濯」
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