トピックス : 【江戸朱引図】 文政元年 (1818)9月26日、江戸の範囲を町奉行・勘定奉行が若年寄に区域を答申。
投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-9-10 0:58:42 (20 ヒット)

「朱引図」(しゅびきず)は、江戸幕府が江戸の範囲を定めるために地図上に朱色の線を引いた。江戸の範囲はその地図上に、江戸城を中心とする朱色の線(朱引線)で囲まれた区域として示されている。
朱引の範囲は、江戸城を中心に北は荒川、東は中川、西は神田上水、南は目黒川まで広がっていた。この範囲は「御府内」とも呼ばれ、この外側は朱引外(しゅびきそと)と呼ばれ、江戸の公式な市域として認識された。「朱引」は1818年(文政元年)に初めて定められ、その呼称は明治時代に至るまで使われた。

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