トピックス : 【万延金(まんえいきん))】 4月10日万延元年(1860)新小判、新二分判などを鋳造する。
外国貨幣に対処すべく1854年から鋳造された金銀。 特に安政二朱銀の目方は洋銀1個の目方の半分にあたる3匁6分であったため、外国から抗議をうけ、洋銀との交換に失敗、かえって金貨の濫出を招いた。そこで1860年、新たに万延金が鋳造され、金の流出を阻止するが、国内の物価が高騰した。なお、新小判・ 新一分判の品位は77匁5分(56.77%)、 新二分判・二朱金は200匁 (22%)だった。
金貨流出の対応策として発行された万延二分金は、幕府財政の補填のため大量に発行され、国内で急激なインフレをもたらした。
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・「日本銀行貨幣博物館」 不平等条約の締結と貨幣
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