トピックス : 【朱引(しゅびき)地】 9月26日文政元年(1818)江戸の範囲を町奉行・勘定奉行が若年寄に区域を答申し江戸朱引図作成される。
江戸の範囲は支配向きにより、町奉行支配場,江戸払御構場所・寺社勧化場・札懸場など独自に設定・解釈されていたが、19世紀になると江 戸町支配には,その範囲の確定が不可欠になってくる。
1818年 (文政元)8月14日、目付牧野義珍から御府内の範囲に関して伺いが立てられて、寺社勧化場と札懸場にほぼ相当する境界に朱線が引かれ,正式な江戸の範囲と定められた。
「江戸東京年表」小学館より引用
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