XOOPS : 弦巻川両岸(東京都豊島区)は、大正末から昭和初期にかけ周辺の子どもたちの恰好の遊び場
弦巻川両岸の田畑は耕地整理が行われ、大正末から昭和初期にかけ周辺に住む子どもたちにとっての遊び場は「ハイゼの原」と呼ばれこの原っぱだった。正月に凧揚げ、 またスキーもできた。時に、時代劇の映画ロケが行われたりサーカスの小屋掛けもあったという。
また、鬼子母神近くに住んでいた 秋田雨雀もこの原っぱによく来ていたようである。
「私がはじめて秋田雨雀さんに会ったのもこのハイゼの原であっ た。・・・私は草原の斜面に腰を下ろして、はるか右手の方に見える鬼子母神様を眺めていた。するといつの間にか私の直ぐ左横に一人の男の人が立っているのを発見した。鳥打帽子を冠りステッキを突いていたその人を見た時、私は最初異人さんではないかと思った程だった。色の白い童顔、茶色のコール天のズボンをはいて、今ではルバシカと分かるが黒色のだぶだぶの上衣に腰の辺りを紐でしばった面白い風貌の雨雀は、夕焼けがきれいだねとぽつりと言った」と『雑司ヶ谷界隈』(中村省三) には当時の雨雀の容貌が細かく描かれている。
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神田川界隈物語 12月号 子どもたちの恰好の遊び場 雨雀も訪れた「ハイゼの原」
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