| 3月3日、日本橋架橋 今年420年。 sibugaki 2023-7-13 0:22 376 0
慶長8年(1603)3月3日、 家康はどうして、日本橋をかけのか? 関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。 家康は、江戸を人流物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点 とするとともに、 江戸湊を造成し・・・・・ 詳細はこちら> 「武蔵國・江戸物語」戦いに備えた江戸の最初のインフラ http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf
画像 : 歌川豊広「江戸八景 日本橋清風」1790年代(ボストン美術館蔵)
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| 4月11日明治元年(1868) 江戸城が開場 sibugaki 2023-7-13 0:22 480 0
4月11日明治元年(1868) 江戸城が開場
1867年(慶応) 11月9日、 大政奉還。 江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。 その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、 交渉は無事成立。 こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。 この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てて・・・・・
画像 > 西郷・勝無血開城会見の碑 (東京都港区芝 5-33-11 三菱自動車ビルの一角に存在) ( 細見寛撮影)
関連コラムはこちら> ・水都江戸・東京物語り 第一部「武蔵國・江戸物語」≪東京への改称≫ http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf
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| 5月15日、上野の山で戦争 sibugaki 2023-7-13 0:22 437 0
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| 雪晴れ 渋柿 2018-2-12 1:58 1193 0
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| 昔から、旅は道連れ二人旅! sibugaki 2023-7-13 0:22 939 0
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| 池袋駅構内にあるフクロウの石像 「いけふくろう」 sibugaki 2023-7-13 0:22 814 0
>写真は待ち合わせ場所の定番となった「いけふくろう」の像。 (地下1階JR改札付近)
>駅の待合せ場所として、渋谷駅のハチ公、東京駅の銀の鈴、新宿駅のアルタ前などと共に定番になっている。 「いけふくろう」とは、「池袋」の地名はかつて湿地帯で池があり、そこに多くのふくろうが生息していたので 「池+ふくろう」で「池袋」となったという説に由来。 今は池袋のシンボル、フクロウのモニュメントとして池袋の各所に「いけふくろう」がいる。 昔から雑司が谷の「すすきみみずく」は、お土産や安産と子育てのお守りとして有名。 明治末期から大正にかけて「雑司ヶ谷の梟」のあだ名で呼ばれた人物がいた。 こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀で、仲間たちを呼び、鬼子母神境内の茶屋に文人や画家たちが参集した。
関連コラム>神田川界隈物語 こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 赤穂事件の発端、江戸城・松之廊下刃傷の図 sibugaki 2023-7-13 0:22 735 0
元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、指南役の高家(こうけ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた場面。 その後、浅野内匠頭は即日切腹、御家は断絶。元禄15年(1702)12月14日、浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む赤穂浪士(四十七士)は元禄15年(1702)12月14日、吉良を討取り主君の無念を晴らす。天下泰平の世の中を騒がせた一連の事件は、赤穂事件と呼ばれる。
絵は忠雄義臣録 第三(ちゅうゆうぎしんろく だいさん)歌川豊国(うたがわとよくに/三世)画 弘化4年(1847)刊 (東京都立中央図書館蔵)
*関連コラム> 大掃除と忠臣蔵 江戸言葉 月ごよみ>十二月 「大掃除と忠臣蔵」 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
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| 朝靄に飛ぶ鶴 渋柿 2018-2-12 1:57 1089 0
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| 幕末、慶応の打ちこわし sibugaki 2023-7-13 0:22 503 0
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| 幕末の物価騰貴の諷刺画。 sibugaki 2023-7-13 0:22 1019 0
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| 飛ぶ宝石 渋柿 2017-2-19 21:57 1071 0
「しぐれつつ翡翠翔(か)けて蘆(あし)に消ゆ」 水原秋桜子 撮影/衣斐啓 |
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| 飛ぶ宝石 渋柿 2017-2-19 21:59 1028 0
「かんざしをよくも落とさぬ翡翠かな」 溝口素丸 撮影/衣斐啓 |
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| 富士山噴火が鎌倉幕府を創った? sibugaki 2023-7-13 0:22 499 0
富士山噴火が鎌倉幕府を創った?
平安遷都の6年後の800年 (延暦19) そして864年(貞観6) に、 富 士山が噴火。 噴火により、大量の火山灰が相模国に降り長期間かけ沿岸域の陸化を促進。 それを地域豪族が開拓し私領地化して力をつけてゆく・・・・・ [ 画像 : 宝永噴火を描いた古絵図(滝口文夫氏所蔵) ]
詳細はこちら> 水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」 No8. 富士山噴火が荘園化を加速! http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/
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| 豊島区雑司ヶ谷作の花瓶が世界で激賞! sibugaki 2023-7-13 0:22 938 0
竹本焼は、明治初年から大正期にかけ旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器です。窯と工場は神田川に近い竹本家の屋敷「含翠園」にありました。やきものに必要な水は敷地から湧き出る豊富な清水を利用し、土は瀬戸などから取り寄せたほか、地元雑司が谷や落合の粘土も使用していました。竹本焼はまさしく豊島区の水と土から生まれたやきものです。
写真はシカゴ・コロンブス万国博覧会出品(1893年) 『紫紅釉花瓶』(しこうゆうかびん) 竹本隼太作 東京国立博物館蔵
*詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜豊島区の「水」と「土」から生まれた竹本焼 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 豊島区雑司ヶ谷産の名品 sibugaki 2023-7-13 0:22 1038 0
竹本焼は、明治初年から大正期にかけ旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器です。窯と工場は神田川に近い竹本家の屋敷「含翠園」にありました。やきものに必要な水は敷地から湧き出る豊富な清水を利用し、土は瀬戸などから取り寄せたほか、地元雑司が谷や落合の粘土も使用していました。竹本焼はまさしく豊島区の水と土から生まれたやきものです。 写真は竹本隼太作 紫薇釉紅葉文丸形花瓶 (しびゆうもみじもんまるがたかびん) 高18.4 口径4.9 胴径18.7 美術展覧会(明治24年1891)銀牌受賞 東京芸術大学大学美術館蔵 *詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜「豊島の土」を美術品として海外へ送り出した竹本隼太 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 「男神が多い武蔵国」 sibugaki 2023-7-13 0:22 407 0
東京の未来づくりには、地歴を抜きに考えられません。 この物語は、土木技術者の視点から、地理や文化を織り交ぜ、豆知識としてどこを読まれても良いスタイルになっています。 東京の未来づくりを議論されるとき、この物語が、ささやかでもお役に立てば、望外の喜びです。
8世紀頃、地球温暖期を迎え、西欧も東洋も開墾が盛んとなり、食物生産を押 し上げました。 そして文明が、古代から中世へ移行。この時代の特徴が、国際宗教の誕生です。宗教が国際化できるほど、 広範囲に生産力が向上したことを示唆しています。 中国では、隋唐が国家を再統一し、仏教治国政策が行われます。 日本は中国に学び、豪族たちの氏神を日本神話の体系に位置付け、氏神に冠位を与えてそれに応じた供物を与える仕組みとし、また仏教治国政策も取り入れ、全国に国分寺を立てました。 では辺境の武蔵国では、どのような状況だったのでしょうか? 国司は、大国魂神社敷地 (東京都府中市) に置かれ、有力豪族の氏神を順番に詣りました。それは豪族の所有地の調査も兼ねてのことだったでしょう。その順番が一之宮等の神社のランクになったといわれています。 武蔵国の神様で特徴的なことは、開墾開拓に相応しい“力の男神”が圧倒的に多いということです------
詳しくは>〜水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」 No5.「男神が多い武蔵国」 http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/
*画像〜No5.「男神が多い武蔵国」
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| 「池袋」地名の由来とされる池を水源とする弦巻川 sibugaki 2023-7-13 0:22 642 0
弦巻川(つるまきがわ)は池袋から雑司ヶ谷を経由して江戸川橋に至る神田川の支流で東京都豊島区と文京区との間を流れていた河川。昭和7年(1932年)に当時の北豊島郡高田町により暗渠化工事が行われ、現在では川の流路はまったく残っていない。 池袋の地名の由来とされる丸池が存在したこを後世に残すため、水源の池である丸池(袋池とも呼ばれた)は豊島区立元池袋史跡として公園になっている。
>写真は豊島区立元池袋史跡公園 (東京都豊島区西池袋1丁目9-12)
関連コラム>神田川界隈物語 「起伏にとんだ土地に水を湛えて流れた弦巻川」 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 「万葉集に見る武蔵国の水土」 sibugaki 2023-7-13 0:22 426 0
東京の未来づくりには、地歴を抜きに考えられません。 この物語は、土木技術者の視点から、地理や文化を織り交ぜ、豆知識としてどこを読まれても良いスタイルになっています。 東京の未来づくりを議論されるとき、この物語が、ささやかでもお役に立てば、望外の喜びです。
《万葉集に見る武蔵国の水土≫ 奈良時代編纂の万葉集には、東歌や防人 (さきもり) 歌が特集され、そこには、武蔵国の水士が色濃く滲み出ています。 ここでは、東歌3 首、防人歌1首を紹介しましょう。 まず「多摩川に曝 (さら)す手作り さらさらに何そこの子のここだ愛 (かな)しき」 という歌があります。 カラムシから織った布を多摩川に晒している女性を愛でている詩です。“さらさら”という言葉から、流れの速さが連想されるとともに、“更 更に”愛情が増す意味も加わり、秀作といえるでしょう。 次に、「埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね」という歌があります。 “港の船を繋ぎ止める 綱が風で切れても好きな人の便りは絶えませんように” と願っている詩です。 読まれた場所は行田市であり、船が生活上欠かせない低湿地であったことが分かります。----------
詳しくは>〜水都江戸・東京物語〜「第一部 「武蔵國・江戸物語」No4「万葉集に見る武蔵国の水土」 http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/
*画像〜No4. 「万葉集に見る武蔵国の水土」
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| スーパーブルーブラッドムーン! 渋柿 2018-2-12 1:35 1062 0
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| スーパームーン 渋柿 2018-2-12 1:45 1082 0
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